辞書は正しい言葉のお手本ではない

―― 現代は時代の流れが速く、多様な生き方や価値観が生まれています。気をつけないと価値観が古いままの言葉を使ってしまい、コミュニケーションでトラブルが起きるかもしれません。そんなときに辞書があるとお手本になりますね。

飯間 いえ、辞書はお手本ではないんですよ。編さん者の我々も欠点の多い一人の人間ですから、「辞書に載っていることはすべて正しい」とは考えていませんし、思い上がってはいけません。お手本というよりも、「我々が観察した結果、こういう意味で使われる場合が大多数です」「最近は従来の意味で使われるよりも、こういう意味合いで使われることのほうが多いです」といった観察結果を報告するのが辞書です。決して、辞書はお手本、教科書だから従ってくださいとは思っていないのですよ。

―― そうすると、「この言葉が正しいか」「この使い方が合っているか」は、どうやって判断したら、いいのでしょうか。

飯間 言葉の「正しい」「間違い」を判断するのは誰かというと、話す人自身なんです。世間では何の問題もなく使われている言葉でも、自分が少しでも引っかかる、あるいは誰かを傷つけると思ったら、使わないほうがいいですよね。辞書はその判断をするために、意味や使用例などの参考情報をなるべく多く盛り込むものだと思っています。

―― みんな判断に迷うのか、飯間さんのツイッターで「この言葉はおかしいのでは」「誤用ですか」と質問する人も多いですね。

飯間 例えば「負けず嫌い」という言葉がありますね。「負けず(負けないの)が嫌い」=「負けるのが好き」という意味になるからおかしい、だから誤用だという人もいます。でも、こうした質問に対する私の答えはいつも同じなんです。「いや、使われていて意味が通じるなら、いいんじゃないですか」と。

 「食べれる」が「ら抜き言葉」だと問題になることもありますが、親しい友達同士で、「これ、食べれる?」「うん、食べれるよ」と言っても何の問題もないでしょう。そこで正しい言葉にこだわりすぎて、「はい、私は食べられます」と言ったら、周囲の友達からは「この人は自分たちとはちょっと違う世界の人なのかな」と思われてしまうかもしれません。ある局面においては「食べられる」よりも「食べれる」のほうがふさわしい場合もあります。

 言葉には通じる時と場所があって、その場で違和感がない場合は使ってもいいのです。ただ、複数の意味や言い方がある場合は、ほかの誰でもなく、自分がどれを使うかを決める必要があります。

―― そして、使うときには他者への配慮も忘れてはいけませんね。

飯間 そのとおり。大事なことですね。