まだ終わりの見えない新型コロナウイルス禍ですが、日本にとっては「収束した後の世界」でどんな国であるべきか、も真剣に考えなければならない課題です。コロナ禍前までの一時期の好景気の立役者だったインバウンド(訪日外国人)にはもう期待できない。ならば…? コラムニストの河崎環さんが「コロナ後の日本」を展望します。
オミクロン株の猛威は各界へとリーチした。陽性判明や濃厚接触疑いによる自宅待機など、テレビ界まで生放送番組の演者代行が続々報じられ、老若男女問わず、目に見えて「誰もが感染している」現状だ。
パンデミック(世界的流行)の出口が見えそうで見えない。諸説芬々(ふんぷん)、でもいつかは出口があるのだろう、いやあるはずだ、として、3月末を年度切り替えとする日本ではこの冬あちこちで、パンデミック後のビジネスに向けた準備が水面下で進められている。
だが、2019年まで日本が経済政策の頼みの綱にしてきた「インバウンド」「地方創生」「クールジャパン」の3本の柱は、パンデミックでことごとく崩壊した。日本政府が復興を懸けた五輪は青息吐息で開催、インバウンドは「蒸発」、地方創生は「頓挫」、クールジャパンは「いまや隣国のほうが元気そう」。そして気づくのだ、どうやらあれはインバウンドバブルだったらしい。でもバブルのひとことで片付けるわけにはいかない……。
さて、今回はその中でも「インバウンド、その後」を考えてみたい。地方創生やクールジャパン、女性活躍に有効だという理屈までも巻き込んで、これぞ外貨獲得の正解とされた観光・飲食産業と、その周辺。あれほど国民みんなで五輪に向けて踊ったにもかかわらず、突如「蒸発」したインバウンドの、次の一手は?

「やっぱり豊かで、稀有(けう)な国ではあるなぁ」
15年から19年にかけて、日本政府発行の海外向け月刊広報誌に関わっていた。大臣インタビューや官僚、学者など有識者へのインタビューもとてもエキサイティングだったけれど、日本全国津々浦々へ取材に出かけて見聞きしたことは、それ以上に私の大切な宝物となっている。
編集チームで分担し、北から南まで地方都市や村落へ。Uターン・IターンやIT業界のリモートデュアルライフ、伝統ある衣食住に風呂文化、歴史習俗、文学芸能、日本ならではの繊細な手仕事、静かなる職人魂や、海外の政府開発援助(ODA)に尽力してきた人々が馳せる思い、震災復興に情熱を傾ける人々、そんなことまでできるのかと舌を巻く先端技術。日本のあちこちにそっと存在する、隠された宝石のような事実に触れて、いつも感じていた。「古くからの歴史と優れた技術の共存に、他と代え難い能力のある人々。どうこう言われても、やっぱり豊かで、稀有な国ではあるなぁ」。
それぞれが信じる正義に祈りをささげていた
その少し前まで海外に住んでいて、ふるさとである日本に対して客観的にさまざまな思いを持っていたから、なおさらそう感じたのかもしれない。どんな国にも、政治、経済、社会、文化、いいところも悪いところも色々あって、日本は国内の一部識者がけちょんけちょんに「日本なんて」と卑下し糾弾するほど悪いところばかりじゃない。だけど、「日本すごい」と持ち上げすぎて他国を当てこする人々の差別的な態度にも鼻白む。震災復興を期して社会が動き、日本国内には過剰な否定論と過剰な肯定論、二つの相反するものが混ざる、そんな時期だった。
でも、主義主張は別のところに置きながら、気持ちとしてはどちらも理解できた。失われた20年が震災で30年となり、傷つき折れ続けていたからこそ、何か強いものを信じたくなるし、自分はそこに所属しているのだ、と「他人の自信を借りたくなる」のが人間の心理だ。「日本のここがすごい」と報じるバラエティー番組に対して、SNSで過剰な賛意を寄せていた人々も、過剰な嫌悪感を表明していた人々も、それぞれが信じる「強いもの」「正義」に対して祈りをささげていたのだろう。