企業に所属しながら他の会社でも働いたり、会社の肩書を使って他社の仕事を請け負ったり、働き方は多様化の一途をたどっています。そんな中、もしもこれまで背負ってきた会社という看板をいきなり外して「自分の名前だけで仕事を取りなさい」と言われたら、どうしたらいいでしょう。実際に自分を上手に売り出して仕事を獲得してきた「個」の時代を行く人に話を聞きました。今回は、失敗からの学びを基に自身の価値を高めて、自ら営業に出向かなくても契約が取れるようになった、広報事務所SPRIL(スプリル)代表の福地セイカさんです。

勤務先の上場をきっかけに退職を決意
日経xwoman編集部(以下、――) PR事務所を立ち上げる前は、何の仕事をしていましたか?
福地セイカさん(以下、福地) 始めはゲーム会社のセガで、販促や広報の仕事をしていました。「ぷよぷよ」や「初音ミク」などの商品販促、PRが中心でした。
その後、プリントシール機開発などを手がけるフリューに転職し、商品PRからコーポレート広報まで、広報関連業務を幅広く担当しました。
当時は上場前で、社員一丸となって上場を目指し、みんな強い上昇意欲を持って仕事をしていました。革命的なチャレンジには積極的にトライさせてくれる社風でした。
そして上場を果たしましたが、当然とはいえ、上場した企業は、非上場時と同じように社員の思いつきや勢いだけで事業を動かすことはできません。どうしても保守的にならざるを得ない部分が出てきます。
失敗してもまた新たなチャレンジに挑み続ける社風が好きだった私は「ここは私の居場所じゃない」と思い、上場後すぐに退職しました。
―― 退職時点で次のキャリアプランは考えていましたか?
福地 それが、全く考えていませんでした。本格的に音楽活動をすることは決まっていたものの、もちろん収入はゼロ。そのような中、ずっと広報職をしていたので、広報関連で自分にできることをやろうと思って、ボランティア同然の報酬で、ベンチャーや小規模企業の広報をお手伝いしました。
何事も勉強になると思い、頼まれた仕事はすべて受けました。でもそれがストレスの種になってしまい、気がつけば、すべての取引先との契約を白紙にしてしまう事態に陥ってしまいました。
―― 何があったのですか?