企業に所属しながら他の会社でも働いたり、会社の肩書を使って他社の仕事を請け負ったり、働き方は多様化の一途をたどっています。そんな中、もしもこれまで背負ってきた会社という看板をいきなり外して「自分の名前だけで仕事を取りなさい」と言われたら、どうしたらいいでしょう。この連載では、自分でキャリアマップを描き、「自律的キャリア」へと踏み出した人たちへインタビューしていきます。今回は、さまざまなキャリアを経験し、製品企画に転向した富士ソフトの濤岡(なみおか)美穂子さんです。

2.かなえたい目標は声に出して伝えた
3.成功する理由の裏付けを取る習慣をつけた
濤岡さんが取った自律的なアクションはこの3つ。インタビューで詳しく話してもらった。
PCスキル習得で芽生えた「ソフト開発」への関心
日経xwoman編集部(以下、――) 29歳で富士ソフトに入社する前は何をしていましたか?
濤岡美穂子さん(以下、濤岡) 大手芸能プロダクションで、音楽制作やマネジメント業務をしていました。ある程度の仕事を覚えたところで次の目標を探したくなり、銀座のテーラーへ転職。事務員として働きました。
当時の私は、事務職にもかかわらず、エクセルの使い方も分からないほどパソコンとは無縁でした。先輩に「これからの時代、パソコンを扱えないと仕事にならないよ」と言われ、MOS(マイクロソフト・オフィス・スペシャリスト)資格など複数の資格を取得しました。
パソコンのスキルが身につくほど楽しくなり、次第に「パソコン関連のスペシャリストになりたい」と思うようになりました。その後、テーラーを辞めて派遣社員となり、入力業務などを担当しながら、幅広い業界の事務を経験。パソコン業務をやればやるほど「時代はもっとIT社会になっていく」と体感するようになった私は、IT関連企業への転職活動を開始。29歳のとき、富士ソフトへ入社しました。
―― 事務職として入社したのですか?
濤岡 いいえ。事務作業でパソコンを扱ううち、「もっとこんな機能があればいいのに」「私ならこんな機能を付けるのに」といったソフトウエア製品企画への関心が高まり、IT関連企業で製品開発がしたいと思い、中途・未経験採用をしていた富士ソフトへの転職を試みたのです。
必要に駆られて学び始めたパソコンがいつしか楽しくなり「パソコン関連のスペシャリスト」が目標に。IT業界の明るい未来を感じて転職を決意した。