Instagramのフォロワーは約43万人を誇り、ブランドディレクター、インフルエンサー、DJと複数の肩書を持つ植野有砂さん(31歳)。独学で学んだ英語を生かして海外アーティストのステージに立ったり、楽曲に参加したりするなど、活躍の幅は日本にとどまりません。常に自身を客観的に見つめながら働き方をアップデートしている植野さんに、今まで歩んできたキャリアについて話を聞きました。
20代からパラレルキャリア 週5で正社員をしながら朝までDJ
編集部(以下、――) 現在はどのような仕事をしているのでしょうか。
植野有砂(以下、植野) ファッションブランド「FIG&VIPER(フィグ&ヴァイパー)」のクリエイティブディレクターを務めて11年目になります。そのほかにインフルエンサーとしてSNSなどで仕事を受けたり、コロナ前は国内外でDJとしてステージに立ったりしていました。
―― 今まで、どのようなキャリアを歩んできたのでしょうか。
植野 高校生のとき、雑誌『Popteen』の読者モデルからスタートしました。大学生のときにアパレル企業の関係者から「ブランドをつくらないか」と声をかけられ、在学中に「FIG&VIPER」を立ち上げてクリエイティブディレクターに就任しました。
芸能活動の一環ではなく正社員としての採用だったため、大学卒業後はその企業に就職しました。ただ、当時からDJやインフルエンサーの活動もしていたので、平日の5日間は9時半から18時半の定時までオフィスで働き、その後にイベントや撮影へ向かっていました。DJイベントの場合は、会場で朝を迎えることも。金曜日の夜は新幹線で地方へ行くこともしばしばありました。でも当時は20代だったこともあり、休みがなくてもなんとか乗り越えられていましたね。
―― どのように息抜きやストレス解消をしていたのでしょうか。
植野 結構遊んでいましたよ(笑)。忙しくても、仕事の合間に遊ぶ時間をスケジュールに組み込み、その生活をルーティンにしたら自然と体が慣れていきました。
それに日々まい進していると、自分と同じく仕事に対してストイックな友人が周りに増えていくんです。がんばっている彼女たちの存在も、自分の働くモチベーションになりました。
―― 植野さんが社会人になったばかりの10年ほど前は、今より副業やパラレルキャリアを歩む人は少なかったですよね。なぜ、複数の肩書で働く道を選んだのでしょうか。
植野 大学の友人は就活をして一般企業に、読者モデルの友人は芸能界へ進むことが多かったです。私のように会社員として働きながら、表に出る活動をするのは珍しかったかもしれません。
しかし、どれも自分にとっては外せない仕事だったので、何かを諦めるという選択肢はありませんでした。それに昔からニューヨークへ留学することが夢で、そのために独学で英語を勉強していました。だから、「もし仕事もうまくいかなくなったら、海外へ行こう」と心の中に別の選択肢を持っていたので、自分を追い詰めることなくキャリアと向き合うことができたのかもしれません。