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「自律的キャリア」を行く!

アナウンサー経験から役員・従業員の育成事業で起業

「つらくて辞めたい」。そう思っても、踏ん張り続けて見えてきたもの

Terraceで話題!

自分で描いたキャリアを開いていく──。今回登場するのは、元アナウンサーで企業役員向けの話し方講座や人材育成事業で起業した大塚美幸さん。企業向けのSDGs研修やコンサル事業を行っています。アナウンサー時代に得た学びや出会い、退職の理由。起業しながら大学院の博士課程に進学したきっかけについてご紹介します。

前編 アナウンサー経験から役員・従業員の育成事業で起業 ←今回はココ

大塚美幸(おおつか・みゆき)
大塚美幸(おおつか・みゆき) 大学卒業後、アナウンサーとして活躍。退社後は海外に渡航、世界をバックパックで巡る。帰国後はアナウンス事務所に所属しフリーアナウンサーに。アナウンサーをしながら企業役員や経営者向けのコミュニケーション指導を始める。2児の母。
大塚美幸さんの「キャリア自律」のポイント
1.未経験の世界…何年かは踏ん張ってやってみる
2.世界を知る…バックパック一つで巡ることで得るものがある
3.出会い…ちょっとした仕事でも誠実にこなすことで得るネットワークがある

苦しかったアナウンサー時代

日経xwoman編集部(以下、――) 大塚さんはアナウンサーを退職してから海外渡航を経て2013年にandを設立し、BEX Instituteという名前で活動しています。現在の事業について教えてください。

大塚美幸さん(以下、大塚) コミュニケーションを軸としたBtoBやBtoCでの人材育成や企業役員向けの話し方講座などの事業から始めまして、2000人を超える役員の皆さんへ研修させていただいています。企業のSDGsコンサルなども手がけ、これまでベンチャーから一部上場、海外の企業など300社以上とお付き合いしています。

「つらくても、続ける中で見えてくるものがある」(大塚さん)
「つらくても、続ける中で見えてくるものがある」(大塚さん)

 今の時代はSDGsへの取り組みが企業に求められるため、その基本的な知識について研修を行います。また、それぞれの企業の特徴に合わせて「御社のこういった活動がSDGsに当てはまります」という部分を発見し、それを世の中に発信する方法を助言しています。

―― 最初にコミュニケーションを軸とした事業を始めたきっかけは何だったのでしょうか?

大塚 コミュニケーションについて考え始めたのはアナウンサー時代からです。私はアナウンサーを目指していたわけではなかったので、実際に働くようになってから話し方や伝え方が身に付いていなくて非常に苦労しました。そこからコミュニケーションについて自分なりに取り組むようになったんです。

―― なぜアナウンサーの道に進まれたのでしょうか?

大塚 学生時代にあるラジオ局のプロデューサーに声をかけられて、週に2回ほどラジオパーソナリティーをすることになりました。でも、私は大学生まで温室育ちでぼーっとしたタイプだったので、現場で「ちゃんとやれ!」と怒られて心が折れてしまって(笑)。すぐに泣いて「辞めます」と泣き言を言っていました。それでもなんとか1年続けているうちに、パーソナリティー仲間と友達になって、アナウンサーを目指していたので、勧められて試しに受けてみることになりました。

 それで最初に内定が出たのがテレビ山梨でした。その翌日に大手レコード会社の最終面接があり、テレビ山梨の内定が出たことを伝えると面接官が「局アナは受かろうと思って受かるものではないし、うちの会社はまた入りたいと思ったら受けられるからアナウンサーをやってみたほうがいいのでは」と親身に話してくださったんです。

―― アナウンサーとして働いてみていかがでしたか?

大塚 すごくきつかったです。同期がアナウンススクールで何年もかけて学んできた発声や話し方などの基本的なことが私には全くできませんでした。先輩や上司が研修をしてくれるのですが全然できなくて。人間関係にも悩んで1年目に退職願を出したのですが上司に説得されてなんとか続けていました。それでも、尊敬するアナウンサーの先輩から「3年はやったほうがいいんじゃないの?」と言われて続けてみようと思いました。3年たつと確かに仕事の全体像が見えてきて5年目までは続けることができました。

大塚さんのキャリア自律ポイント1
未経験の世界…何年かは踏ん張ってやってみる

アナウンサーの訓練は受けたことがなく、全くの未経験だった。つらいことも多かったが、数年、踏ん張ってみると、仕事の全体像が見えてきた。

―― なぜ退職したいと思ったのでしょうか?

大塚 一つは狭い世界を抜け出したかったことがあります。山梨は私の第2の故郷といえる場所で、会社だけでなく地元の皆さんに温かく育てていただきました。でも距離が近い分、「衣装が似合っていない」「あの読み方はなんだ」という意見が筒抜けになってしまったり、常に人の目を意識しなければならない生活が続くことが精神的につらくなってしまったりしていました。「もう5年やったからこの場所を卒業しよう」という思いでした。

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