新潟市議会議員選挙でトップ当選を果たし、その後も新潟県議会議員、衆院議員と、政治家として活躍の後、現在はコメンテーターや講演などで政治参加を伝えている金子恵美さん。金子さんが政治家になった理由や、意外に身近な政治参加の方法などについて語ってもらいました。

「初の女性市議会議員」に期待する声なき声の存在を知った

日経xwoman編集部(以下――) 金子さんが政治家を目指した経緯を教えてください。

金子恵美さん(以下、金子) 父が新潟県の月潟村(現新潟県新潟市南区)で村長をしていたので、幼い頃から政治が身近にありました。

 人口約3800人の小さな村の村長でしたが、小・中・高校や図書館をつくるなど子どもの教育に力を入れ、毎年0才児が増えるほどの効果が出ていました。政策次第で人口減少を食い止められること、社会を変えられることを目の当たりにした私は、学生時代に「将来、選挙に出る」と決めていました。

 ところが、父からのアドバイスは「これからの時代はマネジメント感覚が必要になるから、一度、民間企業で働きなさい」でした。そこで私は、一般企業に就職をして働きながら、選挙に出馬するタイミングを待つことにしました。

 出馬のタイミングは、2007年、月潟村が新潟市に編入され、政令指定都市となって初めての新潟市議会議員選挙のときに訪れました。当時、新潟市の市議会議員に女性はゼロ。立候補者10人の中にも、女性は私1人だけでした。この中から、当選者は3人。男性が町や村を取りまとめてきた地域ですから、女性候補者が受け入れられるかは未知数でしたが、初の女性という新しさを売りに、「今、新風を!」というスローガンを掲げて選挙を戦いました。

 投票日が間近になると、テレビ局の記者が各候補者の選挙事務所へ取材に来ました。常連の候補者から先に取材して、最後に私。母が「娘の順位はどのくらいですか?」と聞いたら「8位です」と言われて。母と「当選の3人どころか5人にも入ってないなんてね。やっぱり保守的な地域で女性議員になるのは難しいね」なんて言ったことを覚えています。

 ところが、蓋を開けてみると4000票強でトップ当選。このとき、市民の中に「誰かに町を、暮らしを変えてほしい」という声なき声がこんなにたくさん眠っていたことを知りました。その「誰か」になりそうな私が出馬したことで、これまで投票所に行かなかった人たちが一票を投じた。だからテレビ局の見立てと違う結果になったのかもしれません。この気づきは、私のこれまでの6回の選挙経験の中でも、もっとも印象に残っています。誰かが見てくれている、期待している人がいるということを痛感した選挙でした。

初めての選挙で、「誰かに変えてほしい」と思っている多くの声なき声の存在を知ったという金子さん
初めての選挙で、「誰かに変えてほしい」と思っている多くの声なき声の存在を知ったという金子さん