「私にしかできない仕事」を探す。技術者の道へ

―― 「困難でも諦めない」という思いはどのような原体験から生まれたのでしょうか。

浅川 小学校高学年のときにプールで目をケガして徐々に視力が落ち、中学2年生のとき完全に失明しました。当時の私は体育会系。本気で水泳のオリンピック選手を目指していたため、「この先、どういう人生を進めばいいんだろう」と悩みましたし、これまでできていたのにできなくなったことがたくさんありました。でも、オリンピックを目指していたこともあり、私は負けず嫌いな性格なんです。この先の未来は、諦めたくないと思いました。

 高校は盲学校へ進学。目が見えない中で生活ができるようさまざまなトレーニングを受けました。「目が見えないからといって夢を諦めず、自分にしか就けない仕事をしたい」と強く思いました。

―― なぜ、技術者の道を歩むことになったのでしょうか。

浅川 高校卒業後の進路で最初に選んだのは、実は語学の道なんです。目が見えなくても言葉の壁は越えられるだろうと。大学では英文科に進み、翻訳家を志しました。しかし、一つの会議を翻訳するには莫大な紙の資料から情報収集しなければならないと知り、自分には難しいと判断しました。

 再び進路を模索していたところ、テレビで「目が見えなくてもエンジニアになれる」というニュースを耳にしたんです。当時、国内で2つだけ視覚障がい者も学べるプログラミングの専門学校がありました。職種としても可能性を感じ、テレビで紹介されていた専門学校に進学することにしました。

―― もともと情報技術やプログラミングに興味があったわけではないんですね。

浅川 文系なので、むしろ苦手分野でした。最初は授業についていけず、「選択を間違えたかもしれない」と思ったことも(笑)。でも一度決めたことは絶対に諦めたくない。必死に勉強し、卒業後は日本IBMの東京基礎研究所で学生研究員に。与えられた課題に取り組み、正式に日本IBMで採用されました。以後35年以上、同じ会社に勤務しています。