ドラマを通して、断定的なメッセージは提示しない

「ドラマの中に正解があるわけではなく、ドラマの鑑賞を通じて『これが自分の身に起こったらどう感じるだろう』と思案するきっかけにしてほしい」と語る山戸さん
「ドラマの中に正解があるわけではなく、ドラマの鑑賞を通じて『これが自分の身に起こったらどう感じるだろう』と思案するきっかけにしてほしい」と語る山戸さん

平岩 ドラマではトキコが番組を持っているラジオ局のスタッフや、番組にメッセージを寄せるリスナーたち、トキコの気心知れた2人の親友など、複数の視点が入るような作りになっていますね。

山戸 断定的なメッセージを提示せず、むしろ複数の視点からの発言によってメッセージが揺るがされるような構造になっています。これは全話に共通して、毎回、揺らぎの中に話の結末が落ちてゆくように構成しています。

 例えばラジオ番組にリスナーから「自分の夫がカツラをかぶる行為が許せない」という相談が寄せられる場面。トキコは番組内では「男性が美容に興味を持って何が悪いの?」と答えます。それでも、いざ自分の父親が病院で顔のシミを取るのを実際に見てしまうと「男性が美醜にこだわるなんて」と思ってしまうのです。他人に対してはフェアなメッセージを言えるのに、自分のこととなるとどちらとも言えなくなってしまう。その歯切れの悪さ、迷いには人間らしさが宿りますよね。ドラマを観ている人が、キャラクターを人間として捉え、「これが自分の身に起こったらどう感じるだろう」と思案するきっかけにしてほしいと考えていました。

 私はどんな作品でも、メッセージを伝える側と観賞する側が、一緒に考えながら過ごせたら理想的だと考えています。

 ドラマは、同時刻にいろいろな地域で見られるインスタレーション(絵画・彫刻・映像・写真などと並ぶ現代美術における表現手法・ジャンルの一つ)のようなもの。観た後、その人にどんな変容が起きるかが大事です。ドラマの中で提示された主題を、鑑賞者一人ひとりがオリジナルに完成させてゆくのだと信じています。

 ドラマに登場するトキコの親友である北野は、トキコよりリベラルな信条を持っている。もう一人の親友、ミナミはトキコより保守的な家庭像を抱いている。不都合があっても、夫と別れるのは現実的ではないと考える。北野は、そうした考え方に縛られるのはナンセンスだと思っている。その間で、どちらとも割り切れないトキコは悩みます。それぞれ意見の異なる他者である友人たちに対峙するトキコの弁証法によって、最後に新たな気づきを照らし出すことができたらと考えていました。

── 「弁証法」とは?

山戸 ディベートは「Aか、Bか」という議論です。一方で弁証法は、「ディベートのような二元論ではたどり着けない『A自体でもB自体でもないが、AでもBでもある新しい答え』を探すこと」。優劣や上下を争うのではなく、フェアな対話によって答えを導き出す。弁証法は、哲学の礎とされる方法論です。

 哲学とは、他者の存在によって、つまり対話によって第三の道を発見することであり、私たちの生活に必要な知恵です。「Aなのか、Bなのか」ではない答えを、人類は古代から探し続けており、その反復性に人間の本質が潜んでいるとも言えます。

平岩 ラジオ局スタッフ役の3人も存在感がありました。

山戸 背景をあえて言語化すると、ラジオディレクターの中崎(オカモト“MOBY”タクヤさん演じる男性)は、相対的にリベラルな意見の持ち主。構成作家の近田(森本晋太郎さん演じる男性)は言葉で言ってしまえばマッチョですが、こうした実感は社会には根深い。子育てをしながら働くラジオ音響担当・遠山(ヒコロヒーさん演じる女性)はリアリストと言えるかもしれません。この3人が常に異なった視点から発言をすることで、自然と、「自分がその場にいたら、何と発言するだろう」と想像してしまうような視聴体験にできたらと考えていました。

 今回のドラマオリジナルの部分においては、それぞれ立場の異なる3人のキャラクターを登場させることで、二元論を超えた、第三の見方を常に問いかけるという役回りを持たせています。