「悪しき男性性」 泣き言は言えない

平岩 僕自身の経験でもあるのですが、一般的に、男性は他人に悩みを打ち明けられないという傾向があるような気がします。それは男性に、(テレビドラマ『生きるとか死ぬとか父親とか』の主人公)トキコにとっての(親友である)北野やミナミがいないからなのではないかと感じました。「悪しき男性性(トキシック・マスキュリニティ)」に縛られて泣き言が言えなくなっている。

 先日、友達と「女性誌には、どんなに保守的な媒体でもお悩み相談コーナーやセルフケアのページがあるけれども、男性誌にはそれが皆無だ」という話で盛り上がったんです。もともと雑誌はあまり読まないほうですが、象徴的だなと思いました。

山戸 私も「悩みを人に相談するかどうか」という調査結果を最近読みました。2018年の内閣府の調査(※)で、日本はほかの対象国を引き離して「誰にも相談できない」という結果が出ていて、かつ日本の中でも、男性のほうがさらに人に相談できていないと。「悪しき男性性」というものがあるのなら、それは社会規範によって、個人にもいつの間にか埋め込まれてしまう苦しみであろうことを想像します。

※ 「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査 (平成30年度)」のローデータ参照

 しかし、こうした問題について、どこまで作品で開示的に描いていいのかという問題意識を持っています。まだ映画を撮りはじめたばかりのとき、男性のクリエイターから、「山戸さんは女性の問題を撮れるからいいよね」と言われたことがあります。それは悪意のある感じではなく、本当に困っているという文脈だったので、「私がもし男性の監督であれば、きっと男性の問題を撮るけれど、どうして男性の問題について描かないの?」と聞いたら、「うーん」と言葉をつなげない様子でした。もしかして、問題を前景化(ある部分に焦点を当てること)すること自体がタブー化されているのかもしれない……と当時思いました。

 最近は特に、「自らの有害な男性性に向き合う」というメッセージ性を含む作品も、欧米を中心に描かれることが前景化し、日本人の作家もそれぞれのやり方で向き合う方がいらっしゃるように思います。男性が抱えている苦悩と、その主題化のバランスが取れているかというのは、分かりませんが……。やはり、男性性に関して当事者ではないということにおいて、ためらいがあります。エンパシー(共感)と当事者性の間には、注意深く見つめるべき壁があると思うのです。「想像して突き詰めれば普遍的に撮れる」とも言い得ますが、これまで男性作家が女性の苦しみを撮った作品を目にしてきて、その逆サイドに自分が踏み込むというところには、大きなちゅうちょがあります。新しい男性作家の到来を待つことが、自分にとって誠実な選択だと考えています。

平岩 当事者である男性としては、やはり「男性の生きづらさ」には語りにくさがあります。男性中心的な社会で男性はマジョリティ、権力や特権を持っている側です。そういう面も含めて語らないといけないので、純粋に「こういうところが大変なんだ」と言っても「男もつらいよ」という話で終わってしまいそうで……。悩みがあっても単純には吐露できないなという感覚はあります。でも「有害な男性性」と「男性の生きづらさ」は表裏一体の問題として、もっと語らなければいけない。まだ話している人数も多くはないし、日本においては議論の蓄積も少ないので、言葉が足りていない感じがします。

 フェミニズムは歴史があって議論の土壌が育っているし、言説も発展してきていますが、まだ男性サイドの問題点の掘り下げは発展途中なのではないかという気がしています。今後は男性も女性もコミュニケーションを取り合って、共に「敵」を挟み撃ちしていくべきだと思っています。敵は共通で、「社会構造」ですから。

山戸 そうですね、今、日本では男女間に大きな所得格差がありますが、同時にその額の大小に応じて、当然責任やプレッシャーの重さも分配されていると言えます。女性が社会に進出してリーダーを担ってゆくようになれば、男女間で話せる言葉というのは絶対的に増えるだろうとも感じています。

 これまで私は恋愛の映画を撮ることが多く、ロマンチックなラブストーリーとフェミニズムとがどう切り結ぶかということも課題に考えていました。異性間の恋愛やパートナーシップの場合には、一番愛している人の荷物を減らしてあげるために、女性は強くなれるし、男性は弱くなれると思うのです。そして、そうした物語が現実社会の見取り図を担ってくれたなら、と願っています。

 同時に、これからの女性に襲ってくるのは、責任を取らされることへの恐怖や覚悟ではないかと思います。女性が決定権を持つ管理職になることにおいて、批判されながらも自分の決定に責任を持つということは、逃れがたい課題でもあります。男性が先に引き受けてくれたものを、こちらに引き受けてゆくことは、厳しく重いことですが、これから女性にとって不可欠な力になると思います。もちろん、当然ですが経済的な自立によって得られる自由も、また大きなものです。

 個人的にも、常態化している構造や行動、習慣、実際の人の流れや数に、そのコミュニティの一員として関与してゆくことに関心があります。完成された思想の内側にとどまるほうが、傷つかずに汚れずに誤解されずに生きてゆけるかもしれませんが、そのような閉じた完璧な世界への憧れよりも、たとえトライ・アンド・エラーでも、実際的に試用し実行している人のほうに、ずっとひかれる思いがあります。