「私が描く、選ぶ、動き出す。」―― 新生・日経xwoman(クロスウーマン)がスタートしました。変化の速い時代、私たちはどんな選択をしてどんな道を歩んでいくのか。自分らしく動き出そうとする私たちの一歩を語り、世代を超えて、次の勇気や力につながっていくサイトを目指しています。
本特集では、この1~2年に仕事や生活面で大きな「変化」を経験している方たちの声を集めました。各界で活躍する11人をインタビューしたほか、300人以上の読者にアンケートを実施。今回紹介するのは、専業主婦歴17年を経て、47歳で再就職した薄井シンシアさん。キャリアを積み重ねてきましたが、東京五輪・パラリンピックの延期とともに失業。新たなキャリア・生き方を模索している薄井さんに話を聞きました。
(上)61歳で失業・薄井シンシア 自分の名前で勝負する生き方 ←今回はここ
(下)コロナ禍 予期せぬ心身の不調に苦しんだ 薄井シンシア

東京五輪・パラリンピックの延期とともに失業
●背景
コロナ禍で海外からの観戦客が来られなくなったため
●今の自分を支えるもの
・堂々と「失業中」と発信して世の女性を勇気づけたい思い
・若い世代には復職で苦労してほしくない
・自分を引き立ててくれた人に感謝。その恩返しをしたい
大手外資系飲料メーカーへ転職したものの失業
薄井シンシアさんにとって、最近の一番大きな変化はコロナ禍によって東京五輪・パラリンピックの延期に伴い、自らも失業したことだ。
フィリピンの華僑の家に生まれた薄井さんは、20歳のときに文部省国費外国人留学生として来日した。大学卒業後は貿易会社に勤務し、27歳で日本人男性と結婚、30歳で娘を出産。その後は夫の海外赴任に同行し、17年間の専業主婦生活を経て、47歳のときに娘が通っていたバンコクの学校のカフェテリアで「給食のおばちゃん」として再就職。日本に帰国後は会員制クラブの電話受付に。その後、外資系ホテルで働き、入社3年目で営業開発副支配人に。それから外資系の5つ星ホテルへと移り、2018年には「ホスピタリティー」の手腕を買われ、東京五輪・パラリンピックのワールドワイドパートナーである大手外資系飲料メーカーのホスピタリティーチームへと転職した。
ところが、新型コロナウイルスの世界的流行により、東京五輪・パラリンピックは延期となり、海外からの観戦客は来日できないことに。大手外資系飲料メーカーが迎えるはずのゲストも来られなくなり、事実上、薄井さんの仕事はなくなってしまった。
「会社のほうからは『別部署への異動もできる』と言われましたが、私が自分のスキルを生かせるのは観光業界で培ったホスピタリティー。それを発揮できないなら、このまま会社に残る意味がないと思い、2021年2月に退職しました」
もともと東京五輪・パラリンピックが終わったら、観光業界へ戻ろうと決めていたが、コロナ禍では厳しかった。元気のない業界へ戻ることにも迷いがあり、薄井さんは「新たな舵(かじ)を切るしかない」と決意した。
「オリンピックは延期、ホテルにも戻れない。自分の居場所がどこにもないというのは本当につらかったですね。それに61歳の自分に次の仕事が見つかるだろうかと不安になりました」
薄井さんは、異色のキャリアの持ち主。17年間の専業主婦生活の後、47歳で「給食のおばちゃん」から仕事復帰し、外資系一流ホテルの営業副支配人を経て、大手外資系企業に勤務。現在は、パートとして働く日本の包丁店でグローバル展開の経営戦略を練り、今まさにキャリアのピボットターンの最中にいます。3月29日(月)には、NHKの『逆転人生』でもそのライフシフト人生が紹介されました。
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