世界の最先端を体感できる都市、ニューヨーク。この街でビジネス・コンサルタントとして活躍する渡邊裕子さんが、米国の今と、米国から見た日本をリポートします。今回は、前編に引き続き、米国の地方選挙に見る多様性の実現への道程と、日本の若者の政治参加意識についてです。
(上)米国と比べて分かる「日本の若者は自民党支持」の独特さ
(下)米国の若者が幼少期から受けてきた政治参加教育とは ←今回はココ
今の日本の若者が政権批判ばかりの野党を嫌う理由
前編で、今の日本の若者の中には「自民党は改革派」だと思っている人がいると話した。
理由の一つに、彼らの民主党や野党への拒否感を挙げたが、その他にもありそうだ。例えば、幼い頃から「みんな仲良く」と教育されて育った日本の若者は、意見の対立を避けることが身についていて、攻撃的に批判する人を嫌う。よって、政権批判ばかりの野党が嫌いなのだ、と分析する人たちもいる。
朝日新聞 Globe の「なぜ若者の政権支持率は高いのか 学生との対話で見えた、独特の政治感覚」という記事に、駒沢大学法学部教授の山崎望氏の「(政権に批判的な同級生たちに対して)空気を読めていない、かき乱しているのが驚き、不愉快、とまで彼らは言うんです」というコメントがあった。
また、学生の「そもそも、総理大臣に反対意見を言うのは、どうなのか」「ぼくは選挙に行くとき、候補者の主張を調べはします。でも、どうしても距離を感じてしまうので、多数派から支持を得ている人に投票するようにしています」という言葉が引用されていて、私にはその考え方自体が新鮮だった。
日本で育ち、かつ長年海外で生活している私から言わせてもらうと、これは、教師などの権威や親を敬うこと、調和を重んじること、ルールに服従すること、などを幼い頃からたたき込む、日本の教育の影響が少なくないと感じる。
このような教育のおかげで、日本の学校や社会の運営が(例えば米国のように個々人の自己主張が強い社会に比べて)円滑に進んでいる部分は大いにあると思う。でも、いろんな人間が集まれば意見が衝突するのは当たり前で、親も教師も(政治家も)常に正しいとは限らない。
物心ついた頃から、自分が個人としてどう考えるか以前に、まず空気を読むことを気にし、摩擦や紛争を避けることがあまりにも身についてしまうと、権威に対して批判をぶつけるべき時、互いに意見を戦わせるべき時にも、まるで悪いことのように感じてしまい、反射的に躊躇(ちゅうちょ)してしまう部分はあるのではないだろうか。