日本の難民認定が厳しい理由は?

池上 島国だから、そもそも「海外から日本に人が逃げてくる」経験に乏しい。1951年に国連で難民条約が可決されても加入しませんでした。方針が変わったのは70年代後半のベトナム戦争後です。ボートで海外に逃げた「ボート・ピープル」を、たまたま日本に来る貨物船やタンカーが助けて、日本に上陸させようとしたら、「日本では難民は受け入れない」と追い返したんですよ。それが世界で大きく報道され、国際的な非難を受けたために、81年に難民条約を批准したんです。

増田 難民を受け入れるため兵庫県姫路市と神奈川県大和市に定住促進センターを作りました。

池上 78年から2005年までに、日本は1万人以上のインドシナ難民を受け入れています。彼らも日本に溶け込もうとした。定住促進センターを出た後、日本国籍を取る人が結構いて、ベトナム料理店があちこちにできましたよね。ただ、その後に日本に来た難民については、「日本に飛行機で来たのでしょう、お金があるのでは」と色眼鏡で見ることもあったと思います。

Q5. 日本の難民認定は世界でも厳しい?
A. 認定者数が少ないと批判されている
各国の難民認定数と認定率(2020年)
各国の難民認定数と認定率(2020年)
出所:認定NPO法人難民支援協会
難民保護と日本
【1951年】国連が難民の地位に関する条約(「難民条約」)を可決
【1970年代】ベトナム戦争終結、インドシナ3国から逃れた
【後半〜 】「ボート・ピープル」を日本が1万人以上を受け入れる
【1981年】日本、「難民条約」に加入
【2002年】難民保護制度の改善を求める声が国内で高まる
【2005年】改正難民法が施行
【2010年】難民申請から半年で一律就労が可能になる
【2015年】シリア難民の受け入れ表明をしない政府の姿勢を緒方貞子さんが批判
【2018年】就労目的の「偽装難民申請」を抑制する運用を開始
【2021年】入管収容施設に収容中のスリランカ人女性が亡くなる