今の世界を知るために知っておきたいキーワードを、池上彰さんと増田ユリヤさんが、歴史をひもときながら解説します。今月は「女性の権利」を取り上げます。日本では女性が参政権をいつどう獲得したかを見ていきましょう。
戦前からの運動を経て戦後に参政権を獲得
編集部(以下、——) 海外で取材をされていて、日本とジェンダー意識の差を感じることはありますか?
池上 アメリカやヨーロッパでは、広報担当者として女性が出てくることが本当に多いです。アラブ地域では働く女性の姿は全く見られませんね。ヒゲ面の男ばかりです。
増田 フィンランドは、サンナ・マリンさんが首相に選ばれたように、男性女性もLGBTQも関係なく、能力のある人がそのポジションで仕事をしています。ただ、日本は他の国を美化しがちですが、欧米でも男女の給与格差など、働く場での男女差別は、まだ根強く残っています。例えばフランスでも、同じ仕事であっても女性のほうが賃金が低い傾向にあります。
池上 フランスは1830年代にフェミニズム運動が起きるなど先進的な面がある一方で、女性が参政権を獲得したのは1944年とかなり遅いですよね。
増田 日本の1945年と、1年しか違いません。
池上 日本では平塚らいてうが、大正時代に婦人の政治参加を求める運動を起こし、市川房枝が戦前・戦中・戦後にわたって平塚らいてうとともに女性参政権獲得運動をしました。しかし、実現したのは日本が第2次世界大戦に負けてGHQ(連合国軍総司令部)に占領されてからのことです。
増田 翌年の総選挙では女性国会議員が39人誕生しています。
日本の女性の権利獲得の歴史
津田梅子、平塚らいてう、市川房枝の3人は、1945年の女性参政権獲得までのキーパーソン。順を追って見ていこう。
<明治>津田梅子
(1864年・元治元年〜1929年・昭和4年)
6歳で岩倉使節団として渡米。米国で教育を受け、帰国後に教育者に。1900年(明治33年)に「女性英学塾」を設立(現在の津田塾大学)。“華族平民”の別のない女子教育を目指した。
<明治・大正>平塚らいてう
(1886年・明治19年〜1971年・昭和46年)
1911年(明治44年)に文芸誌『青鞜(せいとう)』を創刊し、女性解放運動を巻き起こす。1919年(大正8年)から、女性の政治参加の自由を要求した。
<戦後>市川房枝
(1893年・明治26年〜1981年・昭和56年)
女子の参政権が「平等で平和な社会を築く」と訴えた。西欧諸国に遅れるも「女性参政権」を獲得。女性が参政権を得た初の衆議院選挙では39人の女性国会議員が誕生した。
出所:「池上彰と増田ユリヤのYouTube学園」、内閣府男女共同参画局HP、津田塾大学HP、市川房枝記念会女性と政治センターHPより編集部作成
<明治>津田梅子
(1864年・元治元年〜1929年・昭和4年)
6歳で岩倉使節団として渡米。米国で教育を受け、帰国後に教育者に。1900年(明治33年)に「女性英学塾」を設立(現在の津田塾大学)。“華族平民”の別のない女子教育を目指した。

「人間として女性としてオールラウンドでなければならない」(写真:近現代PL/アフロ)
(1886年・明治19年〜1971年・昭和46年)
1911年(明治44年)に文芸誌『青鞜(せいとう)』を創刊し、女性解放運動を巻き起こす。1919年(大正8年)から、女性の政治参加の自由を要求した。

「元始、女性は太陽であった」(写真:毎日新聞社/アマナ)
(1893年・明治26年〜1981年・昭和56年)
女子の参政権が「平等で平和な社会を築く」と訴えた。西欧諸国に遅れるも「女性参政権」を獲得。女性が参政権を得た初の衆議院選挙では39人の女性国会議員が誕生した。

「婦選は鍵なり」(写真:Fujifotos/アフロ)