一家で米国移住、mRNAを研究し続ける

池上 大学院卒業後、1978年から新型コロナワクチンにつながるmRNAの研究を始めた。ただ、その頃からハンガリー経済は悪化していくよね。

増田 国からの研究資金がストップし、カリコさんは研究を続けられる場所を国内外に探し、やっとアメリカのテンプル大学からオファーを得たのですが、その頃、海外に持ち出せるお金はわずか100ドルでした。

池上 当時のレートで2万円。国内に外貨が少ないから持ち出し制限があった。

増田 車を闇で売って1000ドルをつくり、娘のテディベアの背中に縫い込んで、親子3人で出国したそうです。

池上 それでも合計して約12万円で、頼る人もいない新天地へ。すごい勇気だ。

増田 大学での収入は低くて、生活レベルはハンガリーより下がり、大学の設備も貧弱で、最初の1週間で逃げ出したいと思ったそうです。支えてくれたのは家族。エンジニアを辞め、肉体労働をしながら育児や家事を担ってくれた夫には、今も感謝しているそうです。そんななかで、ジョンズ・ホプキンス大学からオファーが来るんですよ。

池上 公衆衛生や医学部門で世界屈指の名門大学ですよね。

増田 それを上司に伝えると、何と「現在の大学に残るかハンガリーに帰国するか」の二者択一を迫られてしまう。

池上 同じ研究者として嫉妬したんだね。どの国の大学にもいるんだなあ、そういう輩(やから)が。

増田 結局その話は潰され、89年にペンシルベニア大学に移籍。非常勤という立場で、変わらず収入も低かったそうです。

池上 不遇をかこっていた時代もカリコさんはずっとmRNAを研究していたんでしょう。

増田 mRNAが画期的な治療薬につながる可能性があることは知られていましたが、人体に入ると炎症反応を起こすという大きな課題があって、多くの研究者がそこで挫折していました。

 カリコさんはハンガリーからの移民で、英語になまりがあり、女性研究者でもある。共同研究者や出資者を見つけるのはたやすいことではありませんでした。が、可能性のあるあらゆる人や企業に声をかけ、スーパーのレジに並ぶ間も論文を読むほど尋常でない努力を続けて、ついに2005年に共同研究者ととともに解決法を発表したのです。が、斬新すぎてあまり注目されませんでした。

【1955年(0歳)】ハンガリーの田舎町で生まれる。父親は精肉店を営む【1978年(23歳)】ハンガリー科学アカデミーでmRNAの研究を始める【1985年(30歳)】研究を続けるため家族とともにアメリカに移住【1990年(35歳)】研究費不足でチーム解体、大学からは降格勧告。がんになる…など苦難が続く【2005年(50歳)】今回のワクチンの開発につながる革新的な研究成果を発表【2021年(66歳)】コロナワクチンの生みの親としてハンガリーで数々の賞を受ける
出典:『世界を救うmRNAワクチンの開発者 カタリン・カリコ』を基に編集部が作成。チャートはイメージ