子ども時代からの「好き」を貫き、なりたい自分になる、というのは大変なこと。でも世の中には、そうした自分の気持ちを大切にし続け、夢をかなえる人もいます。こうした大人たちは、どのような子ども時代を過ごし、また親や周囲の大人たちからどのようなサポートを受けてきたのでしょう。第2回に登場するのは、医師として働くかたわら、父親支援の活動に取り組んでいる平野翔大さんです。名門私立校に通っていた小学生時代は「存在感がなかった」という平野さんが現在に至るまでについて聞きました。
個性の強い同級生たちの中で印象が薄かった小学校時代
現在、産業医・産婦人科医として勤務しながら、医療ジャーナリストとして記事や書籍を執筆、「父親の育児・育休支援」を推進、さらにはコンサルタントとして活動するなど、マルチな顔を持つ平野翔大さん。
そんな平野さんも、小学校時代はおとなしい、目立たない子どもだったのだとか。
「幼稚園までは京都で育ちましたが、親が東京に転勤するのに伴い小学校受験をして、私立小学校に入学しました。同級生たちは、小さい頃から体操教室に通っていて身体能力が高かったり、ピアノの腕前が飛び抜けていたりと、一芸にも二芸にも秀でている子が多く、私は全然目立たない存在でした。大学で再会した同級生は、私のことを覚えていなかったぐらいです。
母校は運動に重きが置かれている校風でした。ドッジボール、ソフトボール、サッカーなどさまざまなスポーツの校内大会がクラス対抗で開かれていたのですが、私の成績は常に一番下のほうでした。水泳も泳げなかったのですが、卒業までに1000メートル泳げるようにならないといけなかったため、小学3年生からスイミング教室に通い、なんとか泳げるようになりました。
運動は苦手でしたが、どんなことでも頑張ったり、突き詰めたことを評価してくれたりする学校だったので、小学5年生で漢字検定2級(高校卒業・大学・一般レベル)、小学6年生で数学検定準2級(高校1年程度)を取得しました」
小学校2年生のときに母親に勧められて漢字検定に取り組んでいった過程で、平野さんは「突き詰めることが好き」な自分に気づいたそう。それがさらに深まり、今の自分の基礎ができたのは中学校時代だといいます。
