小学校2年生から高校3年生までの11年間を児童養護施設で過ごした田中れいかさん。現在は「社会的養護」をテーマに社会活動に取り組むと同時にモデルとしても活躍しています。連載最終回の今回は田中さんに、「社会によって育てられた自分」を振り返ってもらいながら、より良い子育て環境の実現のために思うことや、「共育て」について話してもらいました。
施設時代の親や祖母との交流
私が児童養護施設に入った経緯については連載第1回目でお話ししましたが、今回は施設に入った後の両親との関係についても少しお話ししたいと思います。父とは児童養護施設時代は、正月や誕生日に年賀状やバースデーカードのやりとりをしたり、たまに施設で先生と一緒に面会したりする程度でした。一方母とは頻繁に交流をしていて、兄や姉と一緒に毎月外出をしていました。きょうだい3人と母とで映画を見たり水族館に行ったりした楽しい思い出があります。また、長期の休みには遠方に住む母方の祖母の家に泊まりがけで遊びに行き、一緒に市場へ行ったり、手料理を食べさせてもらったりするなど密な交流がありました。
細々と手紙やメールでやりとりしていた父との関係が変わったのは成人式のときでした。父から「たいした物は買えないけど、振り袖を買ってあげたいと思う」という連絡がありました。初めての父と2人きりでの外出で、緊張しながらも振り袖一式を買ってもらうと、父が「ご飯を食べていかないか」と誘ってくれました。そのときに、「ずっと私たちに申し訳ないと思ってきたことや、なぜ私たちきょうだいがその後ずっと施設で暮らさねばならなかったのか」など、それまで気になっていたことや父の気持ちを知ることができました。
幼い頃の私たちが父から怒鳴られたりたたかれたりしたのは、確かに虐待でした。でも大人となった今は父にも事情があったことを理解できていますし、私が施設を出る日に、菓子折りを持って来てくれた姿や、私の独立後の生活について心配をして施設の先生の話を細かくメモをしていた姿に、父の不器用な愛情を感じることができ、「ありがとう」と思うことができています。
