「女性活躍」の重要性が注目されるようになった今でも、日本の社会には男性中心の組織や考え方が根深く残っています。「ジェンダー平等」や「多様性」といった言葉が世の中に広がる前から、ジェンダーの領域で研究をしてきた専門家たちは、周囲の無理解に対して、どんな工夫をしてその必要性を伝えてきたのでしょうか? ジェンダーにまつわる価値観のすれ違いへの対処法を、静岡大学教育学部教授で同大学副学長の池田恵子さんと、大妻女子大学人間関係学部准教授の田中俊之さんのそれぞれに聞きました。質問へのお二人からの回答を編集部で項目別に構成して、お届けします。
前編 ジェンダー平等の必要性が伝わらない 無理解への対処法 ←今回はココ
後編 性差別的発言、自分と違うジェンダー観…専門家どう対応
「女の子は感情的だから部長になれない」高校時代の原体験
編集部(以下、略) ジェンダーの領域で研究を始めたきっかけを教えてください。
田中俊之さん(以下、田中) 僕は1990年代後半に大学の社会学のゼミで男性学研究の第一人者である伊藤公雄氏の『男性学入門』を読んで男性学に興味を持ったんです。90年代後半は日本でメンズリブ運動の広がりがあった時期で、男性運動団体の代表がゼミに来て話をしてくれたこともありました。
男性学は、性に関する社会の常識を疑い、男性が抱えるさまざまな問題を研究する学問です。例えば、就職活動の時期には、学生たちが髪を黒色に染め一斉に就活モードになりますよね。特に男性は、「学校を卒業したら就職して、定年まで働かなければならない」と思い込んでいる人がほとんどだった。僕はその考え方を苦しいと思うのに、「定年まで働く」ということを、日本の男性たちにこれほど思い込ませている社会の仕組みって何だろう? と不思議に思ったのがきっかけです。
高校の吹奏楽部で部長を務めていたのも、原体験かもしれません。周りは女性ばかりで男性は少ないのに、部長は男しかなったことがない。男性の先輩から、「女の子は感情的だから、部長になれないんだ」と聞いて当時はそういうものかと納得してしまったのですが、ジェンダーの知識を学んでいく中で「あの経験は、社会的につくられた性に対する思い込みなんだ」と気づきました。
池田恵子さん(以下、池田) 私が92年にJICA(国際協力機構)の調査員として参加したバングラデシュのサイクロン被害調査で、男女の死亡率に大きな差があったことに衝撃を受けたことがきっかけです。
被災前のバングラデシュには、厳格な家父長制の下、意思決定権は主に男性に委ねられ、経済的にも教育上も大きな男女格差がありました。死者の9割が女性と子どもであり、20~40代の女性の死者数は男性の約5倍。あまりに顕著な違いを目の当たりにして、災害被害は身体的な強さ・弱さの話ではなく、ジェンダーの課題が影響することに気づいたのです。
―― 研究活動への壁を感じたり、社会の無理解に直面したりしたことはありますか?
<前編の内容>
【1】「今、それどころじゃない」「ジェンダー平等の話は後にして」と言われた
【2】「自分に直接関係がない」と自分事として考えてもらえない
【3】多様性の視点からジェンダー平等の必要性を伝えたら反発された
<後編の内容>
【4】突然、性差別的な発言を投げかけられ、ショックで言葉を失った
【5】身近な環境にジェンダーギャップはほぼないが、時々会う知人や親戚は性別役割分業意識が強く、気まずさを感じることがある
【6】家庭内でジェンダー関連の話をすると、子どもが嫌がる
⇒⇒⇒ ジェンダーの専門家はどう対処している? 前編では【1】~【3】への対処法を考えます