安定も、確かな居場所もあるのに新しい一歩を踏み出したARIA世代の起業家に話を聞くこの連載。今回は外国人向け料理教室「わしょクック」を創業した富永紀子さん。起業のヒントになったのはニュージーランド旅行での体験。「10年後にNZ(ニュージーランド)の地で事業をする」と夢を掲げたものの、40歳での出産や子育て、介護などが降りかかり、起業までの道のりは平たんではありませんでした。

(上)コロナで大打撃の外国人向け料理教室 逆境がチャンスに
(下)40歳出産、母の介護を乗り越え起業…50代でNZ移住 ←今回はココ

「10年後にNZで事業をしよう」と決めた

編集部(以下、略) 富永さんが外国人向けに日本食の料理教室を始めようと思ったきっかけは何ですか?

富永紀子さん(以下、富永) ニュージーランドを旅行しているとき、現地でおいしい家庭料理を食べたことです。39歳の頃でしたね。ニュージーランドの郊外で1日1組限定のペンションに泊まったんです。目の前がビーチで、取れたての魚介類を使って作ってくれた家庭料理がめちゃくちゃおいしくて。次の日もオーナーの友人宅で持ち寄りパーティーに招待してもらいました。

 家庭料理って家族の価値観とか思いとか、文化を伝えてくれる、素晴らしいものなんだと。私は、日本の家庭料理が世界で一番だと思っているので、それを世界に伝える仕事がしたいなって思いました。そして、10年後にはきっかけになった土地、ニュージーランドで事業をしようと計画したのです。

―― 海外で事業をするという10年計画だったんですね。最初はどんなことから始めたのですか。

富永 ニュージーランドで起業をする前に、日本で成功しないと事業を持っていけないので、まず日本でのビジネスを確立しようと考えました。

 でも、すぐには始められませんでした。ニュージーランドから帰国した翌年、40歳で子どもを授かり、出産した後、一緒に住んでいた実母ががんになってしまって。仕事をしながら介護をして1年後に母をみとったら、今度は夫が青森に単身赴任。息子はまだ2歳でしたから、徳島の義母に東京に来てもらうことにしました。それが結果的に事業を進めることにつながりました。

エプロンに描かれたロゴのイラストは義母・孝子さんがモデル。「母の料理とともにロゴが世界中に広がるのが夢なんです」と語るわしょクック代表取締役、富永紀子さん
エプロンに描かれたロゴのイラストは義母・孝子さんがモデル。「母の料理とともにロゴが世界中に広がるのが夢なんです」と語るわしょクック代表取締役、富永紀子さん