安定も、確かな居場所もあるのに新しい一歩を踏み出したARIA世代の起業家に話を聞くこの連載。今回は、48歳のとき2度目の起業で「ロスゼロ」を創業した文美月さん。子育てをしながらの再就職に苦労し、「自分が雇う側になる」と31歳で起業。会社は急成長したものの、あることをきっかけにメンタルがダウン。そこから「もったいないもの」をなくすことを人生のミッションとするまで、どんな道のりがあったのでしょうか。
(上)48歳で2度目の起業「もったいないもの」をなくしたい
(下)再就職に挫折し「雇う側になる」ミッションとの出合い ←今回はココ
子育てしながらの面接は不採用の連続
編集部(以下、略) 2人の子どもを出産した後、31歳で最初の会社「リトルムーン」を立ち上げましたね。子育てだけでも大変なのに、起業しようと思ったのはどうしてですか?
文美月(以下、文) 大学を卒業した後は日本生命に総合職として入社し、融資部で働いて転勤も経験しました。その後、韓国留学を機に退社し、留学先で出会った現在の夫と結婚しました。出産して専業主婦になってみると、バリバリ働いていたときとのギャップが大きくて。片道切符を突きつけられた気がして「もう社会に戻れないかも」と孤独を感じました。
2人目が生まれた30歳の頃、働きたいと思って再就職試験を受けたら、どこも受からない。面接では「小さい子どもがいて熱が出たらどうしますか」と、自分の能力とは関係ないことばかり聞かれて。実力不足もありましたが、世の中の理不尽さを感じました。
それで考え方を180度変えて、「自分の職は自分でつくる。雇ってもらえないなら自分が雇う側になろう」と。私みたいなお母さんをたくさん雇う会社をつくろうと思ったんです。もちろんパートやアルバイトで働くという方法もありましたが、40歳、50歳になったとき笑顔でいられることを思い浮かべたら、実力不足であろうが今、自分で会社を立ち上げるしかない、と思いました。
「今、動かないと後悔する」と旅行先で仕入れ
―― 会社をつくって、どういう事業を始めようと思ったのですか?
文 社会で働きたい思いは強くても、何をしたらいいか分からない時期でした。でも、自分のライフスタイルの延長線上にある事業だったら、時間を有効活用できる。まずは働き方を優先して、起業しました。
ちょうどそのとき、ラジオ番組の懸賞に初めて応募したら韓国旅行が当たったんです。これは、「今、動けということだ!」と勝手に解釈して(笑)。母に頭を下げて子どもを預かってもらい、2泊3日でソウルに行き、雑貨を仕入れてネットで売ることにしました。
仕入れも販売もまったくの素人でしたが、ずっともんもんと悩んでいたので、行動しないと後悔する気がしました。旅行先では一切遊ばず、とにかく多くの店を見て回って商品を大量に買いました。それが人生で1番の分岐点でしたね。「運命の神様は前髪しかない!」と直感に突き動かされたんです。
―― 旅行先で仕入れたヘアアクセサリーを売るためにECサイトを始めたんですね。