新しい一歩を踏み出したARIA世代の起業家に話を聞くこの連載。今回は、産業用の特殊素材を使った個性的なバッグやアクセサリーのブランド「acrylic(アクリリック)」を立ち上げた坂雅子さん。デザイン事務所で仕事をした後、グラフィックデザイナーとして活躍していた坂さんですが、「本当にやりたいことはこれじゃない」と悩み続け、40歳で「天職」に出会いました。自分の個性を信じてブランドを立ち上げるまでのストーリーを聞きました。
(上)40歳で起業 1人で育てたブランドが年商2億へ成長
(下)「夫は有名建築家」の重圧 ロンドンで見つけた自分の道 ←今回はココ
「私、これでいいんだ」と自分を認められた
―― 坂さんがブランドを立ち上げたのは40歳のときですね。大学卒業後にゼネコン勤務や建築設計事務所、デザイン事務所などを経て、独立してグラフィックデザイナーとして活動してきましたが、自分のブランドをつくりたいと思ったのはいつ頃ですか。
坂 それは本当に遅くて。37歳でロンドンに行って初めて思いついたんです。私は美大も出ていませんし、デザインの勉強をしたわけではない。だからそれまでは自分のブランドを持つなんて思いもしませんでした。
でもロンドンの街を歩いていると、自分がすごく個性的であることを自覚できたんです。個性的であっていいと思えた。それが自分を信じるっていうことと直結していました。日本では大学でも職場でも、周りのみんなと好きなものが違っていましたし、ずっと「居場所がない」って思っていたんです。
日本では人と違うことが良しとされなかったけど、英国の女性は何でも思ったことを言っていて、その中にいるとすごく居心地が良かった。個性丸出しで歩いているロンドンの人たちを見て、「私、これでいいんだ」って、完全に自分のスイッチが切り替わって、水を得た魚のように動き始めた。駄目でもいいから自分のやりたいことをやろう、と。
―― それまでも独立してグラフィックデザイナーとして仕事もしていたと思いますが、どうしてロンドンに行ったのですか?
坂 グラフィックデザインを10年近くやっていて経験も積めたし、独立して海外のハイブランドから注文も受けて、収入も良かった。でも「私が本当にやりたいのはこれじゃない」と分かっていました。当時は、「このままでは本当に自分のものを持てない」と思い詰めていました。だから、もう離婚覚悟で。
グラフィックデザイナーはやっぱりクライアントのニーズに応える仕事です。知的な作業ですし、分析力が必要ですが、そこに満足はできなかった。直感人間の私には向いてなかったんでしょうね。
―― 夫の坂茂さんは建築家として世界的に活躍していますが、「内助の功」を求められるようなことはなかったのでしょうか。当時は時代背景的にも、そういうものを求められがちだったと思いますが。