専業主婦から29歳で離婚し、娘を抱えて給食調理員、大学病院の医事課などの仕事に就いた中原阿里さん。30代後半で改めて自分のキャリアをみつめ直し、コツコツためた貯金で法科大学院に入学。40歳で司法試験に合格した。自己肯定感が低く「悲観的だったから合格できた」という中原さんの波瀾万丈の人生を聞いた。
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厳しい家庭で育ち自己肯定感が低かった子ども時代
幼い頃から厳しい家庭で育てられ、自己肯定感が低かったという中原さん。「親に褒められたことは記憶の限りではありません。お前はダメな子だ、と言い続けられたことで、いつも怒られると思ってビクビクしていた」。家族では楽しい団らんの記憶がなく、いつも1人書斎にこもって本を読んでいる子だった。「本を読んでいるときは怒られない。家の本は社会問題関係ばかりだったので、この世界は苦しい人であふれていると思い込み、寝る前に世界平和を祈るような子どもでした」
高校卒業後は、家を出たい一心で奈良の大学に進学。「その頃は自分が一生仕事をするとは思ってもみませんでした。将来の夢は『お嫁さん』と何の疑いもなく思っていた。景気がいい時期だったので、大学卒業後はあまり考えずに広告代理店に就職し、年上の男性と結婚して寿退社をしました」
夢を実現して専業主婦になり、夫の両親と同居。26歳で娘を出産した。
裕福な家に嫁ぎ、順調に見えた結婚生活。でも、何かと干渉を強める義父母との暮らしは中原さんにとって息苦しいものだった。「もともと実母を怖いと思っていたこともあって、夫の親にもうまく対応ができなかった。今思うと適応障害のような状態だったと思います。義父母に対して思ったことを伝えられず、どんどんストレスをため込んでいて。それがある日、爆発したんだと思います。 “もう、ここには居られない”と、雨の中をはだしで家を飛び出してしまったんです」。友人の家に遊びに行っていた娘を連れ、そのまま家を出た。29歳のときだった。