「私はそのときに面白そうなことを懸命にやる感じでずっと来ていて、将来の目標っていまだにないんです。ただ振り返ってみると、昔から好きなものは英語とピアノで、それは変わっていないですね」。2021年、41歳のときにクラシック音楽の新しい可能性に着目した事業を展開する会社「URAHAKU」を設立した宮田加奈子さんにとって、起業は20代の頃から思い描いていたことだった。「決まった仕事をするのが苦手で、雇われるのに向いていない」と話す宮田さんに、「自分は何をやりたいのか」を模索する日々を振り返ってもらった。
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(下)ピアノを「弾かない授業」で体に驚きの変化、音楽で起業
「雇われるのに向いていない」と就職活動しなかった
子どもの頃からとにかく自立心が旺盛で、集団生活は苦手。地元、兵庫県西宮市にある私立の女子校からそのまま系列の大学に進学した頃、宮田さんには自分の将来についてまだぼんやりとしたイメージしかなかったが、「自分が雇われるのに向いていないこと」だけははっきり自覚していた。どんな仕事をしたいかよりも、働き方として「起業したい」という願望がまず先に芽生えた。
「大学4年生になって周りはみんな就職活動をしていましたけど、会社組織の中で働くことは考えられませんでした。私は好きなことをやって生きていきたい性分。だから就職活動もせず、卒業後は半年間、カナダへ行くことにしました。関西がすごくきゅうくつで、とにかく外の世界へ出たかった」
カナダでは語学学校へ行くつもりだったが、英語が既に話せたために入れるクラスがなく、現地の大学が行っているさまざまな公開講座を受講して過ごした。宮田さんは帰国子女でも留学経験があるわけでもない。大学時代に自力で英会話力を身に付けていたのだ。
「大学1年生のとき、外国人に道を聞かれて答えられなかったんです。私は英語文化学科に通っていたのに、これはまずい! とスイッチが入りました。それからは辞書を読んで勉強したり、海外の映画やドラマを原語で見たり。外国人の友達もつくって、しゃべれるようになりました。どうも私、負けず嫌いらしいです。最近気づいたんですけど」
やると決めたことに対しては徹底的に努力してものにする意志の強さと行動力は、初めて仕事に就くときにも大いに発揮された。「カナダから帰国したとき、またどうしても海外へ行きたくなったんですね。それで探したのが、外務省の在外公館派遣員制度です」