起業に憧れを持っていたものの、やりたいことがなかなか見つからず、特技の英語力を生かしながらさまざまな仕事に就いてきた宮田加奈子さん。30代最後の年に見つけた「起業の種」は、20年ぶりに再開したピアノのレッスンという思いがけない場所にあった。ピアニスト2人と始めた会社「URAHAKU」で、宮田さんが伝えていきたいこととは。

(上)「私は雇われるのに向かない」就職活動せず模索した日々
(下)ピアノを「弾かない授業」で体に驚きの変化、音楽で起業 ←今回はココ

 2019年、東京五輪・パラリンピック大会組織委員会で会長補佐として国際担当の秘書業務に就いていた宮田加奈子さんは、高校以来約20年遠ざかっていたピアノのレッスンを再開しようと思い立った。

 「忙しくなればなるほど、他のことがやりたくなるんです(笑)。私はそもそも仕事を終えて家に帰ってソファでごろん、みたいな時間が必要なくて、寝る直前まで何かやっていたい。だから組織委の仕事が忙しいのに、字幕翻訳の仕事もめちゃくちゃ入れたりしていました。

 ピアノは子どもの頃から好きで習っていましたが、高校生のときにやめた理由の1つが、弾いていると手が痛くなったことなんです。それを先生に言っても、『リラックスして弾いてね』と言われるだけで、具体的な解決方法は何も教えてもらえなかった。だからずっと力任せに弾いてしまっていました。

 今度また同じ問題が起きたらいやなので、体の使い方を重視して指導してくれる先生を探そうと思いました。それで見つけたのが、今、URAHAKUで一緒に組んでいるピアニストの黒木洋平です」

「ピアノを弾かせないレッスン」で起こった驚きの変化

 宮田さんは、ピアノを単純に楽しむつもりで再開したわけではなかった。やるからには本気で練習して上達を目指し、アマチュア向けのコンクールを受けまくろうと決意。その意気込みを持って黒木さんの門をたたくと、意外なレッスン内容が待っていた。

 「1時間のレッスンのうち、楽器をほとんど弾かせてくれないんです。立ち方、歩き方から始まって、指1本の力の抜き方に、あごの力の抜き方、弾くときの首の角度などを指導される。それでやっとピアノの前に座らせてもらえたと思ったら、1音だけ延々弾かされるんです」

 そんな一風変わったレッスンを続けること3カ月、宮田さんの体に変化が起きた。「ずっとつらかった四十肩が、すっかりよくなったんです。首の痛みや腕が上がらない症状も長年抱えていて、マッサージや整体やはりに通い続けていたのですが、そうした長年の不調もなくなった。コンクールに向けてものすごい練習量をこなしましたが、腕も痛くならないし、指もよく回るようになりました。

 あまりの体の変化に感動して、この黒木の指導はピアノ演奏に限った話ではなく、みんながもっと知るべきではないかと思ったんです

 目標にしていたコンクールでの入賞を果たし、寝る間を惜しんでピアノにのめり込む生活は一段落したが、レッスンは継続。21年にオリパラが終了し、組織委の仕事が終わったタイミングで、かねて体の使い方に関する自身の考え方を広めたいと考えていた黒木さんと、彼と思いを共有する旧知のピアニスト松岡優明さんと共に3人で「URAHAKU」を立ち上げた。

「黒木のピアノレッスンで長年の不調が解消したことに感動して、この脱力の仕方はもっとたくさんの人に知ってもらうべきじゃないかと思ったんです」
「黒木のピアノレッスンで長年の不調が解消したことに感動して、この脱力の仕方はもっとたくさんの人に知ってもらうべきじゃないかと思ったんです」