自身の誕生日に発生した東日本大震災を機に会社を辞めて独立した、食品ロス問題ジャーナリストの井出留美さん。長年企業広報として培ったコミュニケーションのスキルが、取材する側に立場が変わったことでさらに上がったという。

(上)被災地で見た廃棄される食品が起業へと背中を押した
(下)恵方巻きの廃棄が減った!「食品ロスの広報」が抱く夢 ←今回はココ

「現地に行きたい」退社を決めて被災地に向かう

井出留美 office 3.11 代表取締役 食品ロス問題ジャーナリスト
井出留美 office 3.11 代表取締役 食品ロス問題ジャーナリスト
いで・るみ/奈良女子大学家政学部食物学科卒業。女子栄養大学大学院で修士号(栄養学)と博士号(栄養学)を、東京大学大学院農学生命科学研究科で修士号(農学)を取得。ライオン、青年海外協力隊、日本ケロッグを経て、東日本大震災での食料支援で食品廃棄の実態に衝撃を受けoffice3.11を設立。食品ロス削減推進法成立に協力。著書に『食べものが足りない!』(旬報社)、『賞味期限のウソ』(幻冬舎)他多数。第2回食生活ジャーナリスト大賞食文化部門大賞、Yahoo!ニュース個人 オーサーアワード2018、2020年度 食品ロス削減推進大賞消費者庁長官賞受賞(撮影/望月みちか)

編集部(以下、略) 東日本大震災をきっかけに14年勤めた企業を辞めて独立したのは、やりたいことがあったからですか?

井出留美さん(以下、井出) 「現地に行きたい」という思いからでしたね。日本ケロッグでは1人で何役もこなしていたので、被災地に長期間ボランティアで入ることは難しかった。ボランティア休暇が5日取れたのですが、消化不良でした。

 2011年9月に退社することになり、有給休暇消化のために7月からNPO法人と一緒に現地に入りました。以前から食品メーカーとして寄付をしていたNPOのセカンドハーベスト・ジャパンから「会社を辞めるなら、うちの広報をやりませんか」と声をかけていただいて。

 NPOの発信力強化に役に立てることがあると思いましたし、社会貢献にもなり、食べ物に関われますので、3年間勤めました。同時に雑誌にコラムを連載する仕事などもしていました。

―― 目の前のやりたいことに取り組んでいたら、いろんな人とつながってきたという感じですね。

井出 まさに流れに身を任せてきた感じです。キャリアに関する講演でよくお話しするのが、スタンフォード大学の故ジョン・クランボルツ博士の「計画された偶発性(プランド・ハップンスタンス)理論」です。人生はハプニングの連続。しかしそのハプニングを生かした人が自分に適したキャリアを築くことができる。その通りだと思います。

 その頃フィリピンでフードバンクを立ち上げることになったのですが、以前青年海外協力隊で任期終了直前に帰国し、挫折した思い出のある土地でした。16年ぶりに当時お世話になった人と再会し、苦い思い出を乗り越えることができました。

―― そんな中で東京大学大学院に入学したそうですね。仕事との両立は大変ではありませんでしたか?

井出 それはもう大変でした。社会人向けのカリキュラムではなかったし、睡眠不足でよく本郷の漫画喫茶で仮眠をとってから授業を受けていました。

 最初は広報の仕事に役立てようと情報系の大学院を目指したのです。筆記テストと英語の試験には合格しても、面接で「なんで栄養(が専門)の人がここに来るの?」と言われ、立て続けに2校落ちたんです。

 その後、「そうだ農学部がある!」と思いつき、締め切り3日前に受験申請して、入学することができました。

 修士論文のテーマは日本と米国のフードバンクの評価指標の比較。日本では重量で評価されるのですが、水は重いけど0キロカロリー、シリアルは軽いけど栄養価は高い。本当に重さで評価していいのかと疑問があったのです。政府機関で使っているB/C(Benefit/Cost :ビーバイシー)、つまり費用対効果の指標で調べたら日本のフードバンクのほうが少しだけ効率がいいことが分かりました。

 そうして15年の3月に修士号を取得し、そこから1人で活動することになりました。