先輩たちの失敗談に学ぶ連載。今回は、デビュー30周年を迎えた古内東子さんに話を聞いた下編です。「恋愛の教祖」と呼ばれた古内さん。学生時代の大きな決断について、じわじわと感じ始めた後悔とは? 意外な場所での講習をきっかけに、古内さんの学び直し欲が盛り上がっているといいます。
(上)「恋愛の教祖」が本心を歌ったからこその失敗
(下)20代の決断に後悔…50歳迎え、学び直し欲 ←今回はココ
“歌う女子大生”が中退を決意した理由
大学1年でメジャーデビューした古内東子さんにとって、今、改めて失敗だったのかと振り返るのが、大学を中退したことだ。
高校3年生のときに5歳上の姉と曲作りを始め、姉に内緒で送ったデモテープがきっかけでデビューが決まった。高校時代に1年間、米国留学を経験していた古内さんが、上智大学比較文化学部1年(現・国際教養学部)2月のことだ。デビューに大反対の父親が出した条件が「学業を優先して絶対に大学を卒業すること」だった。
「デビューのときにキャッチコピーのように“歌う女子大生”と言われたりもしたのですが、とにかく大学の授業がハードで音楽との両立が本当に大変でした」。デビューに至るまでライブ経験も、バンド経験もない古内さんにとってデビュー後の活動は全てが初の出来事ばかり。一日一日をこなすことに精いっぱいだった。一方、大学の授業は厳しく、翌日までに分厚い英語の原書を読んでリポートを書く課題があるなど、音楽活動の忙しさが増す中で、いつも大学の授業が重くのしかかっていた。
「海外でのレコーディングに行かせてもらいながらも、やらなきゃいけないことが別にもう一つあるという気持ちがずっとあって。結局、両方とも中途半端になってしまい、ついには無理だとなって、親の反対を押し切って大学を辞めました。父親は言語道断だ、約束が違うと怒って、すごいバトルになりましたが」