唯一無二の存在感と枠にはまらない演技力で見る人を引き付ける魅力を持つ俳優・片桐はいりさん。40代からは映画『かもめ食堂』や「あまちゃん」(NHK)など話題作に次々と出演し、2023年話題のドラマ「大奥」(NHK総合)では難病治療に尽力する医師を熱演しました。初舞台を踏んでから約40年、舞台やテレビドラマ、映画などで幅広く活躍してきた片桐さん。最終回では、40代での介護経験や50代からの生き方について聞きました。
(1)片桐はいり 低空飛行で40年続けてきた俳優人生は誇り
(2)片桐はいり 女性役にバリエーションが少ないのはなぜ?
(3)片桐はいり 10年超の親の介護経て興味が体に向いた ←今回はココ
舞台の千秋楽、父危篤の連絡を聞いて声が出なくなった
編集部(以下、略) 30代後半から40代後半にかけて、ご両親の看護と介護を経験したそうですね。
片桐はいりさん(以下、片桐) 2004年、私が41歳の頃に父を亡くし、11年に母を見送りました。父は5年ほどがんの治療をしていて自宅で長く看病をしていましたが、最期は入院しました。
ちょうどその頃、松尾スズキさんや宮藤官九郎さんの笑いの多い舞台に出ていて、舞台で思いっきり面白いことをして、終わればすぐに病院に向かうという毎日でした。作品と現実の落差が激しかったですが、ある意味助かりました。
―― 仕事の時間が気持ちを切り替えてくれましたか?
片桐 そうですね。でもやはりストレスはあったと思います。ストレスを自覚していないけれど、体に不調が出るということはありました。舞台の千秋楽に、父が危篤だという連絡が入ったのですが、その日の舞台でどんどん声がかすれていって、最後はまったく声が出なくなった。「これじゃあ『お父さん!お父さん!』って枕元で呼べないじゃない」という思いで、舞台が終わった後泣きながら病院に向かいました。このときの父は助かったんですけどね。
―― 親の介護と仕事との両立はどのようにしていましたか?
片桐 基本的に、仕事は控えめにしていました。03年にドラマ「すいか」に出演している頃は父の状態が深刻で。その頃は本当に忙しくて記憶も曖昧なんですよね。スケジュール帳を見返すと「どうやってこなしていたんだろう」と自分でも思います。若さと体力で乗り切っていたのでしょうね……。そうだ、あの頃(韓国ドラマの)「冬のソナタ」を見ながら毎晩大泣きして、すっきりしたのを覚えています。ヨンさま、ありがとうって感じです(笑)。
父を亡くした後、今度は母親が足を悪くして介護生活が始まりました。足が自由に動かない母を家で私が介護して、夜ご飯を食べさせてお風呂に入れて。でも、夜8時に母が寝てからは私の時間です。「よし、映画行ける!」とそっと家を抜け出して、9時からのレイトショーを見る生活が始まりました。その時間が日々の楽しみとなり、映画に救われましたね。