人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、ARIA読者にお届けします。立教大学名誉教授で英語教育学者の鳥飼玖美子さんの1回目。米国人少女との出会いで英語が楽しいと感じた少女時代から、米国留学や通訳の仕事を目標に猛勉強した学生時代を振り返ります。
(1)英語教育学者を生んだ教師の温情 ←今回はココ
(2)アポロ11号中継でキャリアが飛躍
(3)40代〜大学院で学び、道を開く
立教大学名誉教授/英語教育学者

「ワッチャネーム(What’s your name)?」。これが私が最初に覚えた英語です。
幼少期、私が生まれ育った東京・乃木坂には米軍の関連施設が多く、わが家の前には米軍住宅が数軒並んでいました。ある日、私と同じ8歳くらいの栗毛の女の子を見かけ、彼女と遊びたくて、母に「英語で名前を聞くにはなんて言うの?」と尋ねました。祖父の仕事でシンガポールに住んでいたことがある母は英会話ができたのです。
そして、栗毛の少女が話すのは英語であると、なんとなく分かっていたんですね。翌日、母に聞いて練習したとおりに「ワッチャネーム?」と声をかけると、彼女は「ベッキー」と答えました。それから毎日ベッキーと遊び、彼女が帰国するまで交流は続きました。
この話をすると、「やっぱり、英語に囲まれて育ったんですね」と言われますが、戦時中、敵性語である英語を忘れようとしていた母が私に積極的に英語を教えたことはなく、ベッキーとの出会いを通して身に付いた英語もありません。彼女とは言葉を交わさずに遊んでいましたから。ただ、ベッキーと仲良くなったことは、英語が楽しいと感じた原体験になりました。