2021年に育児・介護休業法が改正され、22年から「産後パパ育休(出生時育児休業)」制度がスタートしました。かつての「ママのワンオペ」が当たり前のように見られた時代から、少しずつですが、着実に「パパが主体的に育児する」時代へと歩みを進めています。

また、新型コロナウイルス下で働き方も見直され、それぞれの家庭が自分たちに合った家族のあり方を追求するようになりました。そんな多様化するパパやその家族の今に迫る本連載。今回ご登場いただくのは、客室乗務員の妻と共に3児を育てる甲斐匠さんです。第1子のときは子育てに対して積極的になれなかったという甲斐さん。子どもが増えていく中でパパとしての行動はどう変わっていったのでしょうか。

■今回のパパ
甲斐 匠さん 39歳
会社員(ベンチャー企業 営業)

■家族構成
妻 39歳 客室乗務員
長男9歳 長女6歳 次女4歳

やりたいことをやらせてもらえなかった学生時代

 九州出身で公務員の両親のもとに生まれた甲斐さん。通知表には毎回「落ち着きがない」と書かれるほど活発な少年で、当時流行していたマンガ「SLAM DUNK」の影響もあってミニバスケットに熱中していました。

 その後、社会で活躍するためには学歴も大事という考え方の両親の影響もあって、なんとなく中学受験し、中高一貫校に入学。中学時代、バスケに夢中になっていく中で外部受験をしてバスケの盛んな高校に行きたいと希望するも、両親の反対でかないませんでした。

 さらに高校では部活禁止の進学クラスに組み込まれたことで、バスケすらできなくなり、ストレスはたまる一方だったとか。

 そして大学進学のタイミング。ようやく自分の意思で東京の大学への進学を決めたそうですが、このときも実は本当の希望ではなかったといいます

 「本当は大学進学より、当時はファッション業界に興味があったので、服飾系の専門学校に行きたいと考えていました。でも、両親に話したらまた反対されてしまって、結局断念。なんとか上京だけは実現したいと思ったので、東京の大学に行くという形でなんとか折り合いをつけたんです」

 モチベーションが高くない状態で過ごした大学時代は、甲斐さんも「迷走していた」と自身を振り返ります。アルバイトをしたり、友達と遊んだりしつつも、刺激的とまでは言えませんでした。就活もそこまで熱を持って臨むことができず、ファッション業界への気持ちも薄れてしまっていたことから、なんとなくIT広告系の企業に入社しました。