23歳でデビュー後、1988年『ボーイフレンド』で第33回小学館漫画賞を受賞。その後『MARS』など多数作品を主に少女漫画誌で発表してきた惣領冬実さん。42歳から活躍の舞台を青年漫画誌に移し、46歳で連載を始めた『チェーザレ 破壊の創造者』は、累計発行部数140万部を超える大ヒット歴史漫画となりました。まもなく64歳を迎える現在は番外編を執筆中で、卓越した描写力と教養あふれるテーマ性、さらに人間心理をあぶり出すようなストーリー展開でファンを魅了し続けています。制約が多かった少女漫画の枠を超え、何ものにも縛られずロックな生き方を貫いてきた惣領さん。これまでほとんど語られてこなかった知られざるプライベートな一面に迫ります。
(1)惣領冬実 父の死でプロの漫画家として生きる覚悟決めた ←今回はココ
(2)惣領冬実「MARS」で自分なりに少女漫画の限界に挑戦
自分がやりたいことなら、どんな結果でも諦めと納得ができる
1982年に漫画家デビューをして今年で40年。40年も1つの仕事を続けているのかと、自分でも驚いています。自分が描けるものを淡々と描いてきただけなので、40年も続けてこられたのは運が良かったんだと思います。
『チェーザレ 破壊の創造者』の主人公、中世イタリアの英雄として知られるチェーザレ・ボルジアは、現代政治学の祖・マキャヴェッリに「理想の君主」とまでうたわれながら、歴史の闇に葬られたといわれる人物です。一度描いてみたかった世界なので、挑戦できる機会を得て本当に幸運でした。自分がやりたいことをして失敗するならいいか、という心境で描いてきたんです。人から言われたことに従って失敗したら納得できませんが、自分がやりたいことならどんな結果になっても、一応諦めと納得ができますから。
2005年の連載開始から13巻まで描いてこられたのは、支えてくれた読者のおかげ。連載を続けさせてくれたモーニング編集部にも感謝の言葉しかありません。
男性社会の理不尽さを感じたOL経験
私がデビューした直後の23歳のときに観世流能楽師だった父が他界し、私が一家を経済的に背負うことになりました。少女たちに向けて夢の世界を描く少女漫画家としては当時言えなかったことですが、漫画家に専業するようになったのはより高い生活費を捻出するため。そのためにより良い作品を作ることが必須だと思って、漫画を描いてきました。
漫画家になる前、地元の大分で事務員の仕事をしていたことがあります。芸大の受験に失敗し、進学を諦めた結果の選択です。1970年代当時は、お茶くみが女性の仕事とされていて、納得いかないことの連続でした。単にお茶を入れるのではなく、割と複雑な好みの方が多くて、1人ひとりの好みを覚えるのがとにかく難しいんです。例えば、課長は日本茶、そのほかの男性社員はコーヒーだったのですが、コーヒーの中でもブラック派の人もいれば、砂糖やミルクの有無、さらに砂糖とミルクを組み合わせるパターンも複数ある。
甘さ加減が好みに合わないと「もっと砂糖を多めにして」とか言われるわけですよ。単に同じ職場というだけで、女性が男性の好みを覚えることが仕事として成立していることを私は謎に思って。「これって仕事なんですか?」と先輩に尋ねると「当たり前でしょ!」と、疑問に思うほうがおかしいというような顔をされて怒られました。