それぞれの家庭の好みに応じて、短時間で数多くの料理を作ることから「予約が取れない伝説の家政婦」と呼ばれるタサン志麻さん。キッチン設備も調味料も全く異なる状況で、あるものを工夫して料理を作る家政婦の仕事を天職だと語ります。しかし、かつては仕事に誇りを持てない時期もあったそう。(上)では、2015年から始めた「家政婦の仕事」について聞きました。
(上)置き手紙一つで退社…その後に出合えた天職 ←今回はココ
(下)挫折をしても「好き」を諦めなくてよかった
36歳で家政婦として独立、でも最初は誰にも言えず
家政婦の仕事を始めたのは2015年、36歳のときです。多いときは1日に3軒の家を回り、2~3時間かけて10~15品、1週間分の料理を作り置きしていました。
家政婦の面白いところは、それぞれの家庭に合わせた料理を作ること。当初は、使い慣れないキッチンや限られた調味料などに戸惑いもありましたが、今ではそれがよい刺激になっています。「限られたものだけで料理する」のが、私にとってはインスピレーションが湧いてくる環境のようです。
本やテレビ番組で私のレシピが紹介される機会が増え、今でもたまに、肩書を「料理家」「料理研究家」と書かれますが、そのたびに「『家政婦』にしてください」とお伝えしています。家政婦の仕事を本当に天職だと思っているからです。レシピを作る時にも、家政婦として学んだことを生かしています。それが「余白」のあるレシピです。
例えば、「強火」といっても、ガスなのか電気なのかなど、家庭によって火の強さは違いますよね。フライパンなど調理器具の大きさが変われば、火の通りも変わってきますから、そこは「絶対にこうしてください」と言えません。そうではなく、「どうして強火なのか」と理由を伝えるようにしています。
「おいしい料理」とは、自分の好みの味のことではないでしょうか。私の味が正解ではありません。私のレシピを参考にした人が、自分だけの好みの味を見つけられるような「余白」を大切にしています。