各界で活躍する方々が、自身にとって忘れられないクラシック音楽の一曲と共に人生を語ります。今回登場するのは、投資ファンドを通して多くの企業の再生や成長を支援してきたニューホライズンキャピタル代表取締役会長の安東泰志さん。事業再生のエキスパートとしてビジネスにまい進する一方で、音楽や美術を愛し、苦しいときに心を慰められてきたといいます。そんな安東さんが20代の若き銀行員時代、留学先の米国で聴いた一生忘れられない交響曲とは?

(上)企業再生のプロ、20代はシカゴ響の「田園」が心の支え ←今回はココ
(下)妬みを買ってゼロから再び創業、藤田嗣治の絵に救われた

 これまでの仕事人生で、苦しいときに音楽や絵画といった芸術の力に救われる経験をしてきました。絵画は、戦前から戦後にかけて日本とフランスで活躍した画家、藤田嗣治の作品。40代後半、心身ともにどん底の状態にあったときに運命的に出合い、心の安らぎを覚えました。そこから収集を始め、約180点になったコレクションを常設展示する個人美術館を2022年10月に軽井沢に開館しました。

 そして音楽は20代の頃、留学先のシカゴで聴いたベートーヴェンの交響曲第6番「田園」です。

 私が学生時代を過ごした1960年~70年代は、洋楽も日本のポップスも全盛の時代でした。小学生のときに来日したビートルズ、ローリング・ストーンズにクイーン、日本にもグループサウンズが出てきて、ニューミュージックがあって。多様な音楽に囲まれて青春時代を過ごし、その中にクラシックもありました。高校時代の同級生にクラシック好きがいて、「こういうのを聴くといいよ」と手ほどきを受けて。ただ、本格的に聴くようになったのは社会人になってからです。

常に緊張を強いられたシカゴでの留学生活

 大学を卒業して81年に三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行し、27歳のときに2年間、会社派遣でMBA取得のため米国のシカゴ大学に留学しました。英語がネーティブでない中での学生生活は本当に大変で、徹夜に近い勉強をしないと授業についていけません。加えて当時は日米貿易摩擦が非常に激しく、米国各地で日本車がたたき壊されたりしていました。反日感情が高まっている中で、日本人学生としてしっかりしなければと、常に精神的に張り詰めた状態が続きました。

 そうした緊張から唯一解放される時間が、シカゴ交響楽団のコンサートでした。当時はゲオルク・ショルティが音楽監督を務めていたシカゴ響の黄金期。学生はものすごく安くチケットが買えるので、シーズンチケットを購入して定期的にコンサートホールに通っていました。

 ショルティとシカゴ響が定期演奏会でベートーヴェンの田園をやることは、シーズンの初めに発表されたときから市民の間で話題になっていました。やはりそれだけ人気の高い名曲なんですよね。私はいつものように学生向けの2階席で聴いたのですが、そのときの感覚は一生忘れられないものでした。