各界で活躍する方々が、自身にとって忘れられないクラシック音楽の一曲と共に人生を語ります。今回登場するのは、スタートアップへの投資や経営支援を行うシニフィアン共同代表の小林賢治さん。東大大学院で芸術や感性などを哲学的に探究する「美学」を専攻、大学院の同期はほぼ研究者の道へ進む中でコンサルティングファームに就職し、その後スタートアップ業界に転職したという異色の経歴の持ち主です。そんな小林さんをそもそも美学へと導いたのはクラシック音楽でした。

(上)音楽の研究者からビジネスの世界へ 進路変更を決めた訳 ←今回はココ
(下)DeNAで「修羅場」を経験、起業家を支援しようと決意

 自分の人生について、「こういう目標に向かってやっていこう」と前もって考え、それに沿って進んでいくタイプの人っていますよね。僕はそれとは逆の「行き当たりばったり」タイプ。ただ、面白くなりそうだと思う選択肢に出合ったら、その機会や縁は大事にしたいと思ってきました。

 もともと芸術に関する学問領域である「美学」の研究者になるつもりで大学院まで進みましたが、途中で方向転換し、コンサルティングファームに就職しました。周りはアカデミズムにそのまま残る人がほとんどなので、相当異色だったと思います。

 昔は「文系の大学院生が社会で何の役に立つんだ」とさんざん言われたものでしたが、研究の世界で学んだことは、外の世界でも生かせるはずだという思いが自分にはありました。そして今振り返っても、美学を学んでいたことは自分にとって本当に大きかったと思っています。

美学はある意味「何でもあり」の融通無碍な学問

 通っていた東京大学は1、2年生が教養課程で、3年生になるときに専攻を決めます。選んだのは、文学部の美学芸術学という学科。音楽美学では自分の好きなクラシック音楽を学問対象にできるのだと知り、進むことにしました。

 美学は対象となる領域がとても広く、音楽に限らず芸術に関するものは幅広く取り扱います。映画『ドライブ・マイ・カー』の濱口竜介監督も研究室の一つ下の後輩です。ただ、彼のように実践をやる人はかなりめずらしいですね。芸術や美、感性について探究する哲学系の学科なのですが、「感性に関する」という以上、言ってしまえば研究対象は何でもいいんです。「アイドルがかっこいい」とか「ご飯がおいしい」ということについて研究してもおかしくないし、同じゼミに所属していてもみんなやっていることがバラバラ。非常に融通無碍(ゆうずうむげ)で面白い学問です。

 音楽美学を学び始めた大学3年生のとき、国立音楽大学から非常勤講師として東大に教えに来ていた礒山雅(いそやま・ただし)先生に出会いました(2018年に逝去)。礒山先生はバッハ研究の大家として知られていましたが、学生と話すのが大好きな気さくな方で、講義が終わるたびに私たちをランチに誘ってくれました。

 あるとき、東大の中にも楽器を演奏する人が多いというのを聞きつけた礒山先生が、国立音大と東大の学生で、紅白歌合戦みたいな演奏会を講義の打ち上げでやろうと言い出しました。僕は当時大学でオーケストラをやっていたので、その仲間を誘ってヴァイオリン、オルガンとのアンサンブルで参加することにしました。

 会場は、パイプオルガンのある東大駒場キャンパスの900番講堂。そのときに演奏したのが、J.S.バッハの「音楽の捧(ささ)げもの」のトリオ・ソナタです。