フリーランスの編集者・ライターでバツイチ、子どもナシ。東京都内のマンションを購入し、仕事に遊びにまい進していた藤原綾さんが鹿児島県の霧島市に移住したのは42歳のとき。著書『女フリーランス・バツイチ・子なし 42歳からのシングル移住』(集英社)で書かれた移住の裏側とその後について、聞きました。

(上)バツイチ、子なし、フリーランス 42歳で霧島に移住 ←今回はココ
(下)霧島へシングル移住 両親亡くした私に第二の母ができた

父親の孤独死をきっかけに、後半生を見つめ直した

編集部(以下、略) 東京生まれの東京育ち、離婚後は自由な一人暮らしを謳歌していた藤原さんが、鹿児島県霧島市への移住を思い立ったきっかけを教えてください。

藤原綾さん(以下、藤原) もともと全国を旅するのが好きで、65歳くらいになったらいずれいい温泉のある場所に移住できたらいいな、というふんわりした希望があったんです。

 一方で、東京が変化してきたなというのを感じていて。競争が激しくなっているというか、どんどん先鋭化して貧富の格差が広がっている中で「自分が身を置くには、この状況は好ましくないな」と。私はそんなに上に行きたいわけでもなく、中間くらいをふわふわしていたいんだけれど、上に行くか下に行くかの選択を迫られるような状況になってきた感覚があったんです。

 そんな頃に、一人暮らしの父が孤独死したんですよね。運良く当日に見つけることはできましたが、本当にそれは運でしかなくて。私はバツイチで子どももいなくて、住んでいるマンションの両隣の人の名前も家族構成も知らない。果たしてこのまま1人で暮らしていて、死んだときに誰が見つけてくれるのかな、と思ったんです。

フリーランス編集者・ライターの藤原綾さん。1978年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、大手生命保険会社を経て宝島社へ。ファッション誌の編集者として活躍後、2007年に独立
フリーランス編集者・ライターの藤原綾さん。1978年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、大手生命保険会社を経て宝島社へ。ファッション誌の編集者として活躍後、2007年に独立

―― 東京で隣近所とあまり交流がない中、隣のおばあさんに白菜のお裾分けをしたら迷惑そうな顔をされたのがショックだった、と書籍に書かれていましたが、「ご近所づきあいは面倒くさい」という感覚は、藤原さんの中にはなかったですか?

藤原 東京の下町育ちなので、子どもの頃は家族でのご近所づきあいもありましたが、自分自身は面倒くさいと思っていました。しがらみなく自由なほうが楽ではありますし、何の責任も持たずに済む。ただ「なんでも自由」を謳歌して個人主義が加速してしまっていることが、今の東京のさまざまな生きづらさにつながっている気がして。

 例えば子育ても、昔は近所の人と一緒に子どもを育てるような環境があったから子どもとマンツーマンにならず、今ほど重荷を感じずに済んだと思います。今の東京では何かがあっても助け合わない状態になっている気がしています。そこに危機感を覚えて、地域の共同体みたいなものの中に身を置きたくなったというのが、移住を決めた一番大きな理由でしょうか。