フリーランスの編集者・ライターでバツイチ、子どもなし。東京都内のマンションを購入し、仕事に遊びにまい進していた藤原綾さんが鹿児島県の霧島市に移住したのは42歳のとき。後半では、実際に霧島へ移住してからの実感や移住を成功させる心構えについて、聞きました。
(上)バツイチ、子なし、フリーランス 42歳で霧島に移住
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仕事減でも支出も減っているのでバランスは取れている
編集部(以下、略) 実際に東京から霧島へ移住して、懸案の仕事状況はどうなりましたか?
藤原綾さん(以下、藤原) リモートでできる打ち合わせや取材は霧島で行いながら、月のうち1週間ほど東京に滞在して、現場に行かなければいけない仕事をまとめてこなしています。
基本的には東京にいた頃も新型コロナウイルス禍では、現場に行かなければいけないことが多いファッション系の仕事が減っていたので、その頃と仕事状況はあまり変わらないですね。ただ雑誌の2ページだけを作るというような小さめのお仕事は、交通費だけで原稿料が消えてしまうので、お断りするようになりました。
もちろん「遠くに行くと、もう仕事をお願いできない」という考えの方もいて、移住前の最後の仕事のときに「これでもう会えないんですね、さみしい」みたいなことを言われたこともありました。
ただ、移住したのがまだコロナ期間だったというのもあって、気を使って撮影がない仕事を発注してくださる方が増えたというのはあります。その分、リモートで打ち合わせをしてキャッチコピーを書いたりカタログを作ったりする広告系のお仕事が割合的に大きくなりました。書籍もそうですが、文字だけに特化したものであれば移住してもできるということが分かりました。
―― では、霧島にいても仕事はできるという見通しも立ったのですね。
藤原 いえ、いつどうなるかは分からないので、見通しは全然立っていないですけど(笑)。今のところ、生活に困る状況にはなっていないです。
30代の“馬車馬生活”に比べれば、もちろん仕事量は減っていますが、畑で野菜を作って一部自給自足もできていたり、食べ物をよくいただいたりする霧島生活では支出も減っているので、収入と支出の円グラフが小さくなったイメージですね。
―― 東京で仕事をしている間の拠点は、どうしているんですか?
藤原 独り身だけれど広い家に住んでいる兄の家に泊まらせてもらっています。そこがなかったら、東京でのお仕事を続けるのは難しかったと思います。1週間ホテルや短期賃貸マンションに泊まる宿泊料、飛行機往復の3万5000円、プラス空港に置いている車の駐車料金、ということになると、かなりの負担になってしまうので。兄には本当に感謝しています。