<上>では、お笑い芸人のにしおかすみこさんが実家で認知症の母をはじめ父、姉と暮らし始めた理由や、「親と同居すべきか」という悩みに回答してもらいました。<下>ではにしおかさんが芸人を目指したきっかけや、これからの展望を聞きました。
<上>にしおかすみこ 認知症の母と同居「5年後は考えない」
<下>にしおかすみこ 執筆活動は生活と家族と、自分のため ←今ココ
「ちやほやされたい」芸人の道へ
お笑いの道に進んだのは、大学生のときです。芸能事務所に所属する前に、よく事務所にネタを見せに行っていました。周囲の同級生たちが就職活動を始める頃に、私は芸能事務所に所属。リクルートスーツを着て就職活動している友人たちと道端ですれ違ったとき、ジャージを着てコントで使う段ボールを抱えた私は「人生の道を踏み外している気がするな」と、ちらりと思ったのを覚えています。
大学を出たのちに芸人になることに対して、家族は反対しませんでした。母からは「芸人の道に進まなくてもいいんじゃない?」とは言われたけれど、売れるわけがないと先行きを心配しての発言だったのでしょう。
「お笑い芸人になりたい」というよりは、「テレビに出たい」と漠然と思っていました。人気者になりたい。目立ちたい。ちやほやされたい。さらに「一獲千金できるかも」なんてイメージもありました。
テレビに出る仕事は、俳優やタレントなど他にもあるけれど、「容姿がきれいでないとできないから、自分には無理だ」と、なんとなく思い込んでいましたね。そうして選んだ道が「お笑い」でした。
当時は女性で芸人を目指す人もあまり多くなかったので、お笑い番組のオーディションを受けに行っても「珍しさ」で合格したのだと思います。おそらくネタは面白くなかったはず。でも「面白いと思われたから合格したんだ」と勘違いしてしまいましたね。
「こんな芸人になりたい」という目標もなかったですし、あまり先々を深く考えてなかった。それがまさか、10年以上も売れないとは思っていませんでしたけれど。
芸能事務所に所属してすぐ、(テレビ番組収録が始まる前に、観覧客を盛り上げるためしゃべったりお笑いやコントを見せたりする)「前説」を担当できることになったんです。自分は前説しかしていないし、その前説ですら笑いは取れていないのだけれど、それでも「テレビの世界に一歩近づけた」とうれしかったですね。
結局、その前説をするだけの生活は7~8年続きました。長いほうだと思います。当時はよく、マネージャーさんに「不本意に思うかもしれないしれないけれど、前説ができるだけでもラッキーじゃないか。前説がある番組も限りがあるんだし、それすらできない人たちもたくさんいる」なんて言われていました。ごもっともです。でも、前説はゴールじゃないんですよ。私はテレビに出たかったんです。
とはいえ、そこからどうしたら売れるのかも分からなかったし、ようやく数回だけテレビに出られるようになっても、出続けるにはどうすればよいか分からなかった。どうしたらテレビの世界だけで食べていけるようになるんだろうと、ずっと考えていました。悶々(もんもん)としつつも突破口も見つからず、停滞したままでしたね。そこから抜け出せたのは、あのボンデージ衣装がきっかけでした。