50歳で自分の「通信簿」を見るのが楽しみ
今48歳、あと2年で50代に突入です。50歳になったとき、どんな「景色」が見えるのだろうかと楽しみにしている自分がいます。その景色がポジティブなものであっても、ネガティブなものであっても、それを受け入れたい。ある意味、それが50年生きてきた僕の「通信簿」的なものなのだと思っています。
その結果を良い悪いではなく、ただ風景として真摯に受け止めたい。きっと、その景色を見て「これはやめよう」「この時間を大事にしよう」「ここで暮らしてみよう」などと、感じることがあるはず。
もちろん、これまでもその時々で振り返る機会はありました。けれどまだ20代や30代では、選択肢が多いんですよ。
50歳になったときに突きつけられるものは、もう言い訳できなかったり、捨てるものを捨てなければならなかったりと、どこかシビアなものになってくる。そろそろ腹をくくらねばならないというか。けれどそれは決して悲観的な話ではなく、きっと今よりも大切なものは見えるようになる気がするんですよね。
この表紙の羊は、僕がアイスランドを訪れたときに撮影したものです。どこか悲しげで、はかなげな表情をしているように見えませんか。新型コロナウイルス禍前は毎年のようにアイスランドへ行っていて、羊たちと戯れる時間が好きでした。広大な地で暮らす羊たちは、柵を越え自由に過ごしているように見えますが、すべて管理されています。耳にタグが付いていますよね。
僕がいくら「ひとりで生きると決めたんだ」と言ったところで、社会から離れることはできないわけです。そういう意味では、群れで生活するこの羊たちと自分が重なる部分はすごくある。
まだ先になりそうですが、いつの日か年単位でアイスランドに長期滞在してみたいですね。その地で暮らしてみると、旅行で訪れるのとはまた違った顔が見られるでしょう。それは良い面だけではなく嫌な面もあるかもしれない。けれど、僕はすべてひっくるめて受け止めたいなと思います。
後編では、芸人としての方向性に立ち止まったときがあったこと、さらに執着心を手放したきっかけとなったエピソードを聞きました。引き続き、【後編】「ふかわりょう 方向性に疑問、仕事激減するも後悔なし 」もお読みください。
取材・文/尾崎悠子(日経xwoman doors)写真/小野さやか イメージ写真/PIXTA
■幼少期からあったMCの素質
■「求められること」と「自分がやりたいこと」が乖離(かいり)していく
■「ポスト出川」と言われ、舵を切る
■「テレビの仕事がしたい」執着を手放した