フリーアナウンサーの久保純子さん。現在は米国に家族と住み、モンテッソーリ幼稚園の先生として、多忙な日々を送っています。今回は、働く母から受けた影響や、幼稚園の先生に採用されるまでの道のり、そして、働く人のメンタルを大切にする園の体制について聞きました。
次の挑戦に備えておく姿勢は働く母から伝えられた
日経xwoman編集部(以下、略) 久保さんはご自身も共働き家庭で育っていますね。お母様は元アナウンサーで、その後、英語の先生になり教室を主宰されました。
久保純子さん(以下、久保) 母は男女雇用機会均等法が施行されるずっと以前に働き始め、子育てもした時代の人です。働く女性にとって今よりもっと激動の日々を過ごしてきた母からは大きな影響を受けてきました。それが次の挑戦に備えておく姿勢です。
母は仕事において常に先々を見据えて準備をするタイプ。あの夢もこの夢もかなえたいという新しいことへのチャレンジを次々に口に出しては実現させていた気がします。私が幼い頃も、10年後、20年後の目標を掲げては「こんなふうに考えているけれど、純子、どう思う?」と意見を聞かれることがありました。
アナウンサーの次に英語の先生になった時も、母は次々に新しい扉を開いていきました。生徒を海外へ連れて行って英語を学ぶ機会を持たせてあげたいという夢を持ち、どんどん実行に移していったのです。今のように簡単には情報を得られない時代に、手探りで語学学校やホームステイ先をリサーチし、現場に足を運び、自ら生徒を引率して英国やタイのサムイ島に語学留学させていました。
そんな母の「次の挑戦を見据えて今を過ごす」姿勢は私にも共通しています。2012年から14年にモンテッソーリの勉強に没頭できる状況になった時、まだ次女が小学校にあがる前だったこともあって、すぐに先生として働き始められる状況ではありませんでした。ただ、もともと幼児教育の先生になりたいという夢があったので、資格を取ろうと決意したことにも、母の生き方が反映されていると思います。
── そして、資格取得から約8年後の22年2月にモンテッソーリ教育の幼稚園で先生になったのですね。きっかけはどんなことだったのでしょうか?
久保 先生になる夢はずっと温めていて、20年ころから実際にそろそろ次のチャレンジを始めたいとうずくものがありました。ちょうど新型コロナウイルス下に入り、すぐには一歩を踏み出せない状況だったのですが、その後、21年後半からコロナ下が少し落ち着いてきたことが、きっかけになりました。
子育て面でも変化がありました。米国では13歳まで通学には保護者の送迎が必要という決まり事があります。次女を毎朝8時に学校へ連れて行き、午後はピックアップする日々だったことも、先生になるのが難しかった理由です。それが、娘が14歳になり1人で通学できるようになったことも大きなきっかけでした。
── 今の勤務先との出合いはどのように?
久保 以前からニューヨークの幼稚園についてはリサーチしていました。友達が子どもの幼稚園を探す際、一緒に見に行ってくれないかと声をかけてもらう機会があったり、自分で調べたりしてモンテッソーリ園の他にもいろいろな幼稚園を見ていました。
その中で、働きたいと思う理想的な園がいくつかあり、一番だったのが今勤務している園です。先生方は穏やかで、子どもたちも幸せそう。モンテッソーリの教具も丁寧に手入れされている園です。私が子どもだったらここに通いたいし、親としても子どもを通わせたい。雇ってもらえるかどうかは分からないながらも、21年の終わりごろに、他の幼稚園も含めて数園に応募しました。

