女性活躍推進に多くの企業が取り組む今においても、取締役に就任する女性はまだ限られた存在だ。トップを走る彼女らが、経営の中枢を担うまでにどのようにキャリアを磨き、どんな道のりを歩んできたのか。ニッポン放送代表取締役社長の檜原麻希さんのインタビュー後半は、時代の転換期にあって、女性活躍を含めて企業がどう変化と向き合っていくべきかについて考えを聞いた。
(上)ニッポン放送社長 「社外の縁」からアイデアが生まれる
(下)女性初の役員、絶対に断ってはダメだと思った ←今回はココ
女性として役員を引き受けるのは、私たちの世代の役割
編集部(以下、略) 檜原さんは組織の一員として働く中で、男女のキャリアパスの違いを感じることはありましたか?
檜原麻希さん(以下、檜原) そこは難しいですよね。事実として圧倒的に女性が少なかったので、男性が100やるところを女性は120か130やらないと評価されないのかなあ、という意識はありました。とはいえ、自分が100パーセント正当に評価されていると思っている会社員なんて絶対にいないと思うので、大事なのは自分が自分の仕事に納得できるかどうかだと私は思っています。
―― どんな部署でも、10のうち1つは自分が納得できる仕事が見つけられるという意識で取り組んできたというお話でしたね。そうした個人としての仕事の向き合い方と共に、組織の中で責任を負う立場になることについてはどのように考えていましたか。
檜原 昇進や出世といったことを第1のモチベーションに据えることはなかったのですが、ちゃんと仕事をやっていくと、ある程度のところでそういうポジションになるのかなという漠然とした考えはあったと思います。最初に管理職になったのは2002年、40歳でデジタル部門の副部長になったときです。立場を与えられるというのは、ある種の責任と決断力が必要になってくることですが、それに対する抵抗は特にありませんでした。任された責任は全うするのが私にとっては自然なことでした。
ただ、管理職というものについて、女性が少ないことは変だよなという思いはありました。そもそも社内に女性の数が少ないから仕方がないのかなとか、結婚して育児をすることになると、どうしてもそれまでのようにパーフェクトには働けないし、かといって当時は両立をサポートする制度もないからかな、とか。
―― では、管理職の次の段階として役員にアサインされたときはどうでしたか? 編成局長をしていた15年、53歳のときに取締役になられていますね。
檜原 役員こそ、社内で過去に女性でなっている人がいなかったので、絶対に断ってはいけないと思いました。それが自分たち世代の役割だし、チャンスが巡ってきたら、真摯に向き合おうと。
―― さらに社長になることまでは想定していましたか?