男性社会の中で働く女性のさまざまな生きづらさを発信してきたARIA。ふと見ると、「男らしさ」を求められてきた男性たちもモヤモヤを抱えている様子。その正体は何なのでしょうか。この連載では、男性学の研究者、田中俊之さんに男性ゆえに生まれる生きづらさや葛藤の原因をひもといてもらいます。今回のテーマは「男の性」です。
プライバシーがない男子の小用トイレ
「男の性」は雑に扱われやすいと思います。雑に扱うほうが、「男らしい」とさえ考えられている気がします。
例えば男性用の公共トイレに入るとずらりと小用の便器が並んでいます。隣を見れば他人の性器が見えてしまう状態で用を足さなくてはいけないのは、あまりにプライバシーがないと思いませんか。小用の便器が出入り口の外から見えるつくりのトイレもあります。もし女性用のトイレに壁がなくて、並んで用を足すとしたらどう感じるか。立場を逆にして想像すると、考えられないことじゃないでしょうか。
水着で隠れるような「プライベートゾーン」は人に触らせてはいけないし、見せてもいけない。子どもにはそう教育をしているのに、矛盾していますよね。ちなみに、ジェンダー平等の先進国として知られているスウェーデンの公共トイレは、男性用でもほとんど個室化されているそうです。
男性は奔放で、女性は貞淑
銭湯でも男性が前を隠すのは男らしくないと言われるし、子どもの頃から「おちんちん」は冗談のネタとして扱われやすい。先輩が後輩を風俗に連れていくというのも女性に置き換えたらあり得ないことじゃないでしょうか。そういう面でも男性の性は軽いものとして扱われていると思います。
そこには性の二重規範(ダブルスタンダード)があります。女性にとって性的な接触はとても重い経験として扱われます。女性が性風俗で働いたり、大勢の人と性交渉を持ったりすると、交際や結婚に影響すると心配されるけれど、男性の場合は風俗に行ったから結婚に支障が起きるということはあまりありません。
「男性は性に奔放であってもよいが、女性は貞淑でなければいけない」というダブルスタンダードがあるからです。一見、男性に有利な基準かもしれませんが、そのこと自体が男性の性を雑に扱っているともいえます。男性の性的な経験が「質」ではなく、量やバリエーションで評価されたり、武勇伝にされたりするのも、その現れだと思います。