男性社会の中で働く女性のさまざまな生きづらさを発信してきたARIA。ふと見ると、「男らしさ」を求められてきた男性たちもモヤモヤを抱えている様子。その正体は何なのでしょうか。この連載では、男性学の研究者、田中俊之さんに男性ゆえに生まれる生きづらさや葛藤の原因をひもといてもらいます。今回のテーマは「男性危機」です。

 「男性危機(メンズクライシス)」という言葉をご存じでしょうか。これまで当たり前に捉えられていた「男らしさ」という概念が変化する中で、男性の内面にも揺らぎが生じ始めています。今回は男性学の研究者らが書いた『男性危機(メンズクライシス)?― 国際社会の男性政策に学ぶ ―』(伊藤公雄、多賀太、大束貢生、大山治彦著/晃陽書房)を踏まえながら、メンズクライシスについて考えていきたいと思います。

 メンズクライシスとは何か。著者の1人、京都産業大学の伊藤公雄教授の定義によると、「男性主導社会の揺らぎの中で20世紀後半以降に生じている男性の経済的・文化的・社会的・心理的な不安定性がもたらす男性性の危機」のこと。1970年代以降、国際的なジェンダー平等が求められる中で男性性のあり方が問われ、男たちがある種の「危機」を迎えていると指摘しています。実際、スウェーデンなどのジェンダー先進国では「男性のための危機センター」という男性対象の相談機関が設置されています。

 この連載でも何度か取り上げてきましたが、ジェンダー平等に向かって女性たちが生き方を変える一方で、男性も職場で、家庭で、地域で、どう振る舞うかが問われています。男性が「標準」や「中心」だった社会が変わりつつある今、これまでの生き方が通用しなくなってきた。それが男性にとっては「危機」となるわけです。

 女性は長らく男女差別の中で葛藤を持って闘ってきたかと思いますが、ここに来て男性も内面的な揺らぎを感じ始めている。そのことにまだ気づいていない人もいますが、それぞれが自分の中で課題を抱えているのかなと思います。

「男らしさ」への過剰なこだわりがもたらす害

 数年前から海外では「Toxic Masculinity(トキシック・マスキュリニティ)」という言葉が使われるようになってきました。日本語では「有害な男らしさ」とも言われますが、伊藤教授の定義によると、「自他を害する過剰な男らしさへの執着」。過剰な男らしさへのこだわりが、周りの人にとっても有害だし、自身にとっても害を及ぼしているといいます。

 例えば米国などで多発する銃乱射事件などは男性が犯人であるケースが多い。日本でも東京・秋葉原の無差別殺傷事件やジョーカーの服装をまねた犯人の京王線での無差別刺傷事件など、男性が加害者となる重大事件が増えています。その動機はさまざまではっきりとは分かっていませんが、背景の1つに、これまで男性に求められてきた「男らしさ」を体現できない人がため込んだ鬱屈があるように感じます。それが暴力的な行動に走るプロセスに潜んでいる、と。