何かと自分の行動にブレーキをかけがちな私たちに、ひとり時間を謳歌する極意を示してくれた湯山玲子さんの連載が新装開店! 今回のテーマは、女性にかけられた「呪い」。「○○のほうが幸せ」「みんなに△△だと思われたい」「□□すべきではない」……社会が変化しても私たちの周り(時に脳内)にしぶとくはびこり、心から望む選択や前向きな行動を阻む「物言い」の数々を、湯山さんにバッサバッサと斬ってもらいましょう。
時に善意から発せられるのが「呪い」のやっかいさ
呪いという言葉を、ウィキペディアで調べると、「人または霊が、物理的手段によらず精神的あるいは霊的な手段で、悪意をもって他の人や社会全般に対し災厄や不幸をもたらさしめんとする行為をいう」とある。
あー、コワイ、怖い! 霊的なほうは井戸からはい出てくる貞子に任せておくとして、何らかの物言いが、結果的にその言葉を受けた人を不幸にする、というこのメカニズムについては、皆さん、思い当たるフシがあるのではないか? ある意味ジンクスなんぞは、自分が自分にかけてしまう「呪い」の類い。「黒猫が前を横切ったら、悪いことが起こる」って、ありえないでしょ! という話なのだが、それを信じる人がいる。悲しいかな人間というものは、理性をはねのけるようにして、その「物言い」に支配されてしまう性(さが)があるのだ。
女性には物心ついたときから「呪い」の数々がかけられている、というのは、私自身が、数々のテキストで使い続けているフレーズ。そして、この連載では、女性たちが知らぬ間に、自由に行動したり、自分が生きたいように決断して生きたりすることを取り下げてしまうあるあるの「物言い」をピックアップして、その「呪い」の正体を暴いていこうと思っている。
「呪い」の数々は、それらが決して悪意ではなく、善意からのアドバイスだったりするという点が、やっかいなところ。女性を縛り、やる気をなくさせるその「物言い」は、男性中心の社会で、自分のことよりも、子どもや夫、イエのために滅私奉公することが美徳であり、生き抜くための技術でもあった歴史のバックボーンがあるだけに、始末が悪いのだ。
ベルリンの大みそかは人様に迷惑をかけまくりだった
さて、今回掲げる呪いの言葉は、「人様に迷惑をかけてはいけない」というもの。
日本人のほとんどの親が、子どもに最も強く言い聞かせている「しつけ」の言葉だが、昭和生まれのいいオトナである私にとって血肉にもなっているこの「物言い」が、世界基準じゃない、と真に理解したのは、ベルリンの大みそかの体験からだ。
クリスマスは家族でおとなしく過ごすが、大みそかは飲んで騒いで大パーティーというのが、ヨーロッパの流儀。さて、その騒ぎっぷりは想像をはるかに超えた無軌道ぶりで、シュプレー川にかかる橋の上では、若者がガンガン花火を打ち上げ、通行中の車にビール瓶を投げつける騒乱状態。しかし、警官は出動せず、一緒にいた地元の友人は「あー、毎年これだから、まともなヤツは外に出て行かないよ」と平気の平左なのだ。