2022年4月からグループ全体を効率的に一体運営する体制をスタートさせ、同7月に社名変更した三菱ケミカルグループ。執行役エグゼクティブバイスプレジデント 最高財務責任者(CFO)の中平優子さんは、研究者としてキャリアをスタートした後、経営サイドに転身した。そのきっかけは、「たとえ優れた技術があっても事業で収益を上げられなければ何もならない」という自らの体験だった。米ビジネススクールへの留学を経て、コンサルティング会社で企業研究を重ね、その後シンガポールやタイで経営トップに就く。そうしたキャリアで得た経験とスキルをもとに、変革を目指す企業にとって必要な人材の多様性、女性活躍などの真の意味について伺った。聞き手は平田昌信(日経xwomanプロデューサー)。

ビデオテープは安売りされ利益を上げられない
――これまでのキャリアについて教えていただけますか。
中平優子さん(以下、中平) もともとイノベーションや技術を生かした製品づくりに興味があり、大学は工学部で化学を専攻しました。当時、工学部の1学年約1000人のうち女性は30人しかいませんでした。
大学卒業後、米国資本の入った住友スリーエム(現スリーエムジャパン)に入社し、研究所でビデオテープなど磁気記録媒体の開発に携わりました。仕事そのものは楽しかったのですが、ビデオテープというのは量販店で安売りされ価格がどんどん下がるので、利益を上げるのが難しい事業でした。いいものを作っても会社の業績に貢献できないことに葛藤が生じ、企業経営のことが分かるようになりたいと思い、会社を辞めて米国のビジネススクールで2年間学びました。
ビジネススクール修了後、マーケティングや事業企画に携わりたいと思っていましたが、当時は日本企業で人材の流動性があまり高くなかったことと、そうした経験が実務でなかったことから、就職活動はなかなかうまく行きませんでした。そこで前職に関係なく採用してくれるコンサルティング会社に入り、主に製造業と製薬会社のコンサルティングを担当しました。
――その後、再び住友スリーエムに戻られたわけですね。
中平 コンサルティング会社で各社の経営課題の解決に参画し経験を深めるうちに、いずれは事業会社でビジネスをやりたいと思っていました。
当時、住友スリーエムでは米国から新社長を迎え、日本のビジネスを変えたい、ついては一緒にやってくれる人を探しているという話があり、戻ることにしました。
最初は経営企画本部統轄部長として社長の右腕のような役目を担い、次に医療用製品事業部長を務め、そして常務執行役員となりました。その後、3Mシンガポール社の代表(マネージング・ディレクター)を経て、3Mに4つあるビジネスグループのうちコンシューマー・ビジネスグループのアジアを担当するバイスプレジデントに就任しました。勤務地はタイを選び、アジア11カ国における3Mの「ポスト・イット」など消費財のビジネスを統括していました。
2021年の夏頃でしょうか、当時は三菱ケミカルホールディングスでしたが、新しい社長(ジョンマーク・ギルソン代表執行役社長)のもとでグローバルカンパニーへ変革していくので、そこに貢献できる人に来てもらいたいという話がありました。日本企業のグローバル成長にいろいろ課題があるという問題意識を持っていましたので、私の経験とスキルが役立つのならぜひと思い、22年2月に参画しました。
現在は執行役エグゼクティブバイスプレジデント 最高財務責任者としてファイナンス、コミュニケーション、IR、渉外を所管しています。