日本ユニシスは4月に社名を「BIPROGY(ビプロジー)」に変更した。新生BIPROGY誕生と同時に、女性初のCTO(最高技術責任者)に就任し、技術方針の策定や戦略実行を統括する香林愛子さんは、同社の総合技術研究所のセンター長(所長)も兼務する。さぞすご腕の人と思いきや、インタビューに丁寧に答えるその姿勢に気負いは感じられず、「自分のスタイルでやってみて受け入れられなかったら、その時は下ろされるだけ」と自然体の印象が残る。「CTO」というと「理系出身」の代表のように思えるが、「文系出身」。どんなスキルや考え方で、CTOの重責を担うのか、担えるのか。他のテクノロジー企業にとっても、大いに参考になりそうだ。(聞き手は平田昌信・日経xwomanプロデューサー)

BIPROGY CTO(最高技術責任者) 兼 総合技術研究所 センター長の香林愛子さん。<br>1998年にSE職として入社。業種・業態によらない共通的な利用技術を育て、その技術をもって現場支援をする組織に長く所属し、技術開発とシステムエンジニアとしての現場業務の両方の経験を持つ。2018年4月にはサービスデザイン部の部長に就任し、ユーザビリティやUXデザインの領域から様々な案件の支援を行い、顧客価値を提供。2021年4月に総合技術研究所 センター長に就任。2022年4月からCTO。総合技術研究所は、数理やAI、量子コンピューティング、ライフサイエンスをはじめとした幅広い研究活動を行い、BIPROGYの高い技術力を支える基盤となっている。総合技術研究所センター長として、技術的な側面からBIPROGYの将来を左右する重要な役割を担う。また、プライベートでは母親として、育児とキャリアを両立
BIPROGY CTO(最高技術責任者) 兼 総合技術研究所 センター長の香林愛子さん。
1998年にSE職として入社。業種・業態によらない共通的な利用技術を育て、その技術をもって現場支援をする組織に長く所属し、技術開発とシステムエンジニアとしての現場業務の両方の経験を持つ。2018年4月にはサービスデザイン部の部長に就任し、ユーザビリティやUXデザインの領域から様々な案件の支援を行い、顧客価値を提供。2021年4月に総合技術研究所 センター長に就任。2022年4月からCTO。総合技術研究所は、数理やAI、量子コンピューティング、ライフサイエンスをはじめとした幅広い研究活動を行い、BIPROGYの高い技術力を支える基盤となっている。総合技術研究所センター長として、技術的な側面からBIPROGYの将来を左右する重要な役割を担う。また、プライベートでは母親として、育児とキャリアを両立

SEの何たるかを知らないまま「楽しそう」と思った

―― 入社後の経歴を教えてください。

香林愛子さん(以下、香林) 1998年に当時ありました日本ユニシス・ソフトウェアにSE(システムエンジニア)として入社しました。日本ユニシスの100%子会社で、本社は東京にありましたが、配属は大阪でした。大学は法学部出身です。

 当時、就職の「超氷河期」と言われた後の少し光が見えてきた頃でした。女性にも総合職という道が開けつつあり、何も知らない女性の学生たちの間では「総合職でやれるなら営業かSEだよね」みたいな風潮がありました。しかも、これからSEは文系学生も大いに募集していくと言われた年でした。

 私はしゃべるのも営業も苦手だと思っていましたので、「それならSEだね」と短絡的に考えていました。SEの何たるかを知らないまま、「みんなで協力してものづくりをするんだよ」と会社説明会で聞いた時に「楽しそう」と思ったんです(笑)。

―― 入社されて仕事はいかがでしたか。

香林 日本ユニシスグループ共通の研修が充実していました。最初の4カ月は研修センターでそれこそパソコンの電源の入れ方からみっちり教えてもらい、文系でも大丈夫という安心感を持ちましたし、理系の同期がいろいろ教えてくれました。ですから、「この会社に入って間違えた」という感じはしませんでした。

 日本ユニシス・ソフトウェアの採用は60人で女性が11人いました。日本ユニシスは108人採用して8人が女性でした。グループ全体で300人以上の新入社員がいて、システムエンジニア採用の女性社員はそのうち1割ほどでした。

 職場に配属されてから最初の5年間はコーディング(プログラムを書くこと)をやっていました。徐々に詳細設計をやったり、業務要件を聞き出すような役割をしたりするようになりましたが、基本的にはずっとシステム開発を担当していました。

 2007年に日本ユニシスに転籍し、11年にUI/UX(ユーザーインターフェース/ユーザーエクスペリエンス)の専門組織「ユーザビリティ&デザインセンター」が立ち上がり、チームリーダー的な立場で参画しました。15年に「UXデザイン室」に改称され、17年にUXデザイン室長になりました。

 翌18年にはマーケティング部門にサービスデザイン部を置くことになり、そこへ異動になりました。システム開発だけでなく、商品企画やマーケティングの分野でもUI/UXの取り込みが必要ではないかと考え、そうした組織ができました。最初はUXデザインの支援や推進に注力していましたが、その後、商材の商品企画を行うなど仕事の幅を広げていきました。