激務が代名詞ともいえそうな総合商社。2021年3月期決算で純利益、株価、時価総額で総合商社のトップに立った伊藤忠商事は、以前から柔軟な働き方改革や人事制度改革を推進してきた。その人事部門のトップに立つのが的場佳子・執行役員 人事・総務部長だ。男女雇用機会均等法が施行された1986年に、事務職で入社。その後、総合職に転換し、ニューヨーク勤務を経て外務省出向を経験する。モットーは「目の前にあることは一生懸命やる。ベストを尽くして待つ」こと。伊藤忠商事はなぜ女性活躍に注力するのか、その理由や施策について、自身のキャリアとあわせて聞いた。(聞き手は平田昌信・日経xwomanプロデューサー)

伊藤忠商事 執行役員 人事・総務部長の的場佳子さん(撮影場所は、伊藤忠商事がSDGsに関する取り組みの発信拠点として2021年4月に開設した「ITOCHU SDGs STUDIO」)
伊藤忠商事 執行役員 人事・総務部長の的場佳子さん(撮影場所は、伊藤忠商事がSDGsに関する取り組みの発信拠点として2021年4月に開設した「ITOCHU SDGs STUDIO」)

総合職に転換、即ニューヨークへ。外務省出向でカルチャーショック

―― 入社されたのが1986年。男女雇用機会均等法が施行された年で、まさにその第一世代ということになりますね。

的場佳子さん(以下、的場) ただ伊藤忠商事の採用は、女性は事務職の採用で、まだ総合職の採用はありませんでした。女性の総合職採用は89年からです。当時は4年制大学出身の女性も少なく、私は大阪で受けましたが、4年制大卒者の大阪採用は10人でした。短大卒の数字は定かではありませんが、50人ぐらいだったでしょうか。女性は短大から事務職で入るのがパターンという時代でした。

 初めは事務職で営業のアシスタントとして注文書や契約書をつくったりしていました。日本の織物を海外へ輸出する業務でしたので、お客様は海外の方でした。海外のお客様がいらしたときに荷物の船積み日などの情報提供が私の役割でしたが、同時に新たな注文を受けるようになり、自然に営業をやるようになりました。

 ところがあるとき、米国から帰国したばかりの課長から、「ジョブディスクリプション(職務記述書)って知っている? あなたのやっている仕事と職掌はマッチしていないよね」と言われ、「え? どういう意味?」と戸惑いました。つまり、「あなたの仕事は営業が中心で総合職の適性もあるから、総合職になったほうがいいんじゃないの?」ということだったんです。

 これがきっかけとなり、総合職への転換にチャレンジすることに決め、上長の推薦をもらい最終的に人事部長と面接を行いました。その面接で一番印象に残っているのは、「問題が起きたとき、あなたは一人で対処しますか」と聞かれたことです。「営業って問題解決の時に一番必要とされるのです」と答えました。というのも、私の仕事のほとんどが問題解決で、クレームがあると私の出番でしたので。「一人で対処します」と答えたら、合格が出ました。

―― 自身で総合職になろうとは考えなかったんですか。

的場 全然。総合職になることなんて考えたこともないですし、ましてや管理職、ましてや執行役員なんて(笑)

―― その後、どんな経歴を?

的場 総合職に職掌転換したのが96年です。実は総合職になった瞬間、海外実務研修生としてニューヨーク行きが決まりました。ニューヨークから戻っても、織物の貿易を同じように続けていました。

 2005年、外務省へ出向という話が来ましたので、「お受けします」と答えました。外務省の経済局経済連携課へ出向してインドネシアを担当し、経済協定の交渉に携わりました。

 2~7歳のときにオーストラリアにいまして、その頃はちゃんと英語をしゃべっていましたが、日本に帰ってきましたらすぐに忘れてしまいました。ですから、英語は苦労して勉強しました。高校ぐらいになってようやく英語が得意になり、大学は英文科に入りました。

 経済連携協定における外務省の役割は関係省庁が集まる霞が関における合意形成でしたので、各省庁の方々と仲良くなり、大変勉強になりました。それに日程調整など相手国との窓口は外務省なので、インドネシア政府の方とは親しくさせていただきました。

 外務省では、書類を渡すことが引き継ぎなんですね。それを自分で読み込み、2~3日たったらその分野のプロになっていることが求められるため私は面食らいました。山のようなファイルを受け取り、「読んだだけでわかるんですか?」と驚き、最初はすぐに尻尾を巻いて帰りたいと思ったほどです。

 外務省でとても印象的だったのは、女性と男性の区別が全然ないことです。まったくフラットでした。民間から行った私にはかなりのカルチャーショックでした。やはり女性は弱いものだから特別に扱うみたいなところがあり、伊藤忠商事でも女性と男性の仕事が分かれていたからです。霞が関では、とにかく女性も男性もよく働いていました。

「外務省でとても印象的だったのは、女性と男性の区別が全然ないことです。民間から行った私にはかなりのカルチャーショックでした」(的場さん)
「外務省でとても印象的だったのは、女性と男性の区別が全然ないことです。民間から行った私にはかなりのカルチャーショックでした」(的場さん)