「これは合ってるのか?」
―― バレーボール選手生活と家族生活の両立で最も大変なことは何でしょうか。
荒木 娘と長期で離れるときは泣き叫ばれて。おかしくなるぐらいに引き留められるときもあります。そんなときは、離れる瞬間、毎回すごくつらくなります。今もそこは日々戦いながらという感じです。
娘が病気になったり、体調を崩して入院したりして、それでも自分は試合に行かなければいけないというときもあって、そんなときは「これ(この選択)は合ってるのか?」と考えましたし、娘に対して申し訳なくもありました。
最近では娘も時間の感覚が身に付いてきたのか、1週間から10日の間に1日から2日間ぐらいのペースで私が千葉の家に帰ってこられることが理解できるようになったみたいで、別れの瞬間がそこまで悲惨な感じにはならなくなってきたかな、というところです(笑)。
ささいなことでもすぐ連絡
―― 離ればなれで暮らす中でご家族との間で気を付けていることがあれば教えてください。
荒木 離れているのでとにかく連絡はこまめに取るようにしています。こういうことがあったとか、こう思っているということをどんなささいなことでも共有し合います。特に母は娘のことを主にLINEで細かく報告してくれます。
娘とは毎日テレビ電話をしますが、画面に映っている私にはあまり興味がないみたいです(苦笑)。そういうときは私も無理に話そうとはせず、娘の気持ちを尊重して。私のいない中で頑張っている娘が、画面越しに私を見ることで寂しさを思い出すということもあるでしょうし、娘が「プン」って横を向くのは彼女なりの気持ちの表現方法だったりもするので。そういうときは「OK、今日はもうナシにしよう!」と。
夫ともそれぞれの家で離れて暮らす生活が続きますが、その分、連絡はまめに取って、お互いの状況を伝え合うことは意識的にしています。これだけバラバラだと、共有し切れない部分もどうしてもあって、もめることも多々あるのですが、毎回、もめるたびにしっかり話し合ってできる範囲でクリアするように、日々、日々、進めています(笑)。
期待せず、いつも応援してくれた両親
―― 最後に、荒木さんの子ども時代のことをお聞きします。荒木さんとスポーツとの出合いを教えてください。
荒木 私は小さいときからずっといろいろなスポーツをしていて、身長がずっと大きくて、小4ぐらいで170cmになったタイミングで「これはバレーだ!」という感じで誘われてバレーボールを始めました。水泳はベビーのときからずっとやっていましたし、小学校低学年から陸上クラブにも所属して、短距離・中距離、幅跳びなどさまざまな競技を通して基礎を教えてもらっていました。
―― そんな荒木さんを、ご両親はどうサポートしていたのでしょうか?
荒木 母は体育の教師でしたし、父はラグビー選手で、両親ともにスポーツに理解があったので全面的に応援してくれていました。でも「期待」はしていなくて。とにかく「応援」するというスタンスで、試合を見てもプレーに関して私に何か言うことはなく、ただただ応援。
今でもそうですが、特に母は本当に私の一番近くに寄り添って戦い続けてくれています。スポーツを始めたときから、ずっと一緒に戦っているという感じです。
取材・文/小田舞子(日経xwoman編集部)
