医療従事者や患者さんからも共感の声が……

木佐 PAHに関わる医療従事者の方からも、「6分」の感想をいただいたそうですね。

一青 「この曲を聴いて、泣いた」と言っていただいて。実際にPAH患者さんをサポートしている先生にも想いが届いたんだと知って、うれしかったですね。

木佐 実は今日は、「6分」をお聴きになったPAH患者さんからも、一青さんにお手紙をお預かりしているんです。お読みしますね。

私は、群馬県に住む56歳の女性です。6年前に肺動脈性肺高血圧症(PAH)と診断を受けました。体調不良を感じてサードオピニオンまで検査をしても、更年期障害の診断で治療を受けていましたが、ある日、呼吸困難、体動困難で救急搬送され、そこでPAHとわかりました。(中略)一青さんの「6分」は、リリースされた日に聞きました。冒頭部分の歌詞は、自分の6年前のつらく悲しいときのことがそのまま歌詞になっていて、何度聞いても涙です。一方で後半の歌詞では、気持ちが前向きになり明るくなりました。PAHの患者の気持ちを理解してくださり、ありがとうございます。

一青 お手紙をいただき、うれしいです。ほかの患者さんからも、上から大きな男の人に押されているぐらい苦しいときがあるとお聞きしました。これは、経験した人にしかわからないと思います。今回のイベントタイトルには、「Hope」とついていますが、何とか皆さんに希望を届けたいです。

木佐 そうですね。年齢のせいや運動不足のせいだと思って、医療機関を受診しない方も多いと伺いました。たくさんの人にPAHのことを知ってもらい、不調を感じたら早めに病院で検査をしようと思う人がもっと増えてほしいと願うばかりです。

一青 病のことが世間に知られていないと、患者さんも孤独になりがち。周囲の人も、息切れする人がいたら、「PAHかも……」と、ぜひ思い出してほしいですね。

「6分」の歌詞と一青窈さんの歌声が、大きなメッセージとなって心に響いた今回のスペシャルライブ。まずはPAHという難病の存在を知ること。そのことが、多くの患者さんや家族の方、息切れやめまいなどの症状に悩む人々の希望になると実感させられた一夜となりました。

一青窈
東京都出身の女性歌手。台湾人の父と日本人の母の間に生まれ、幼少期を台湾・台北で過ごす。2002年に「もらい泣き」でデビューし、2004年、「ハナミズキ」が大ヒットを記録。2004 年には映画「珈琲時光」、2008 年には音楽劇「箱の中の女」で主演を務め、 2013 年には初の詩集「一青窈詩集 みんな楽しそう」を発表するなど、歌手の枠にとらわれず幅広い活動を行う。2022年10月にはデビュー20周年を迎える。


木佐彩子
1971年生まれ、東京都出身。青山学院大学卒業。アメリカ・LAで小学・中学時代を過ごす。1994年、フジテレビに入社し、「プロ野球ニュース」「FNNスーパーニュース」「めざましテレビ」など多くの番組を担当。2000年、当時ヤクルトスワローズに所属していた野球選手・石井一久氏と結婚。翌年、出産を期にフジテレビを退社。2002年、夫のメジャーリーグ移籍に伴い再び渡米。2006年に帰国し、本格的にフリーアナウンサーとして復帰、現在に至る。

■PAH (肺動脈性肺高血圧症)について詳しくはこちら

■2月最終日は世界希少・難治性疾患の日 詳しくはこちら

取材・文/高山和佳 写真/新山貴一