『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』
「旅の空気」を感じて、日常から少し抜け出す
大人になってから、「人生がまるごと変わってしまう」と思えるような体験は、なかなか望んでできるものではないだろう。大人が簡単に(?)体験できる未知の世界といえば、海外旅行がその代表格かもしれない。初めて降り立つ土地、見たことのない景色や聞きなれない異国の言葉。それらは私たちを不安にもさせるし、それ以上にワクワクもさせてくれる。
そんな旅の高揚感や行く先々での発見を綴(つづ)った「旅行記」は、今も昔も数多く出版されていて、名作と呼ばれているものもたくさんある。だが、お笑い芸人・オードリーの若林正恭さんが書いた『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』は、個人的に、あらゆる名作を抜いて「おもしろい旅行記第1位かも!」と思わせてくれるくらい魅力的な作品だった。
勝ち組になることを煽(あお)るような日本の社会システムに疑問を感じた若林さんは、「ほかのシステムで生きている人たちを実際にこの目で確認してみたい」と、ある日、突発的にキューバ行きの航空券を購入してしまう。仕事の休みが取れた、たった3泊5日の旅。
正直、読み始める前は「3泊5日で1冊なんて、少しのできごとを無理やり引き延ばしたような内容なのでは?」と心配に思っていたが、読み始めた瞬間からぐいぐい引き込まれ、夢中でページをめくっていた。
ものを見る力がものすごい。いい大人なはずなのに、まるで15歳の少年が初めて海外に出かけたかのようなフレッシュな目で世界をとらえ、自分の心の声に耳を澄まし、あふれるひとりごとを丁寧に綴っていく。読者は若林さんの体験に、パワフルな掃除機で吸い込まれるように取り込まれていく。炸裂(さくれつ)するような楽しさも、不条理な目に遭った怒りも。すべてがいきいきと描かれている。
旅の最後、若林さんはある人物に話しかける。なぜキューバに来たのか。どんな思いがあったのか。その答えが改めて明かされる場面ではちょっと涙ぐんでしまう。
この本を読むことは、最高の旅をすることにかなり近いと言えるのではないか。旅行の予定がある人もない人も、ぜひ旅の空気を感じて、狭い考えにとらわれてしまう日常から少しだけ抜け出してみてほしい。
文/花田菜々子 構成/樋口可奈子
はなだ・ななこ
