28歳の時に焦って結婚退社 

 小安さんは、「海外で働いてみたい、発信をしたい」という思いから、大手新聞メディアの広告局に総合職として新卒で入社した。「大学で異文化理解について勉強していたため、海外企業が日本に進出するブランディング広告に携わることができれば面白いなと思ったんです」

 超就職氷河期の中、順調なキャリアのスタートをきった小安さんだが、「配属されたのは(出身地の)大阪。イメージしていたグローバルな仕事から遠ざかってしまったと落胆しました。ただ、仕事はとても楽しく、飲み会出席率100%の私はお客さまからもかわいがってもらい、2年目にはフリーペーパー立ち上げの大役も任され、やりがいのある毎日でした」

 その後、東京へ転勤になり、やりたかった外資系企業の広告の担当に就き、順調に成果を上げた。転機が訪れたのは27歳の時。「社内の海外研修制度に手を挙げたのですが、『女性はダメだ』と役員に言われて。『30歳までに海外に行きたい夢が断たれてしまった……』という絶望感で、トイレにこもって泣きました。そんな時、当時付き合っていた方がシンガポールに転勤することが決まったんです」

 結婚すれば海外で働けるし、家庭も持てる。「30歳までにかなえたかった夢が全て実現できると思い、結婚退社しました。仕事を辞めることに葛藤はありましたが、海外に拠点を移してグローバルな仕事ができたら最高だなと考えたんです」

駐在妻になり、思うように仕事ができない

 もちろん勢いだけで決断したわけではない。現地の仕事事情をリサーチするために、結婚前にシンガポールへ行き、就職活動もした。エージェントに登録し、広告代理店やメディアを訪問。「『これなら行ける!』と手応えもあった。なのに……意気揚々と渡航したら、状況が一変したんです」

 駐在員の妻という立場になったことで、希望する仕事をエージェントが全く紹介してくれない。提案されるのは、出張手配などのアシスタント職ばかり。「これまで広告の仕事で成果を出してきたつもりだったのに、そうしたキャリアを全く見てもらえないことに愕然(がくぜん)としました。シンガポール社会では女性が活躍しているものの、駐在員という日本人社会は別世界だったんです。駐在員の妻=夫を支える存在で働くことが許されない雰囲気がありました」

「家族帯同ビザで労働許可証を取れば働くことができるということまで調べて行ったのに、想定外でした」
「家族帯同ビザで労働許可証を取れば働くことができるということまで調べて行ったのに、想定外でした」

 用意周到で飛び込んだはずが、大誤算。自分自身は何も変わらないのに、戸籍が変わり、国境をまたいだことで、周りからの評価や期待値が180度変わってしまった。