コロナ禍も3年目へ… 苦しい状況でも夢をかなえた人
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チョコレート好きが高じて、19歳で単身ガーナに。現地と日本を行き来しながら、良質なカカオが適正価格で取引される仕組みの実現に奔走し続けているのが、Mpraeso(エンプレーソ)CEOの田口愛さんだ。2020年には、ガーナに新たなチョコレート工場をつくるためのクラウドファンディングに成功。21年には自社製造のチョコレートを販売するブランドも立ち上げた。順風満帆に映るが、コロナ禍で事業存続が難しい状況に追い込まれた時期もある。23歳の起業家は、逆境をどう力に変えたのか。
幼いころからチョコレートが大好きだった。
「曽祖父の家に遊びに行くと必ず、チョコレートを1粒もらえたんです。金色の紙に包まれたそれはキラキラ輝いていて、当時の私にとってはまるで宝石のように思えていました。大事に取っておいて、学校でテストや課題発表がある日の朝にパクッと食べると、すごく元気が出て。お守りみたいな存在でしたね」
田口さんは岡山県出身。自宅の周りには農家が多く、果樹園や田畑に囲まれていた。日々、口にする野菜や果物について「誰が作ったの?」と親に聞けば、「あの農家さんだよ」とすぐに教えてもらえるような環境だった。
ただ、大好きなチョコレートのことだけはよく分からなかった。「原料になるカカオは、遠いアフリカや南米で生産されているらしい。いったいどんな人がつくっているのだろう」。当時から抱いていた好奇心が、19歳になった田口さんをガーナへと向かわせることになる。日本に輸入されているカカオの約8割はガーナ産だという。初渡航は2018年7月のことだった。
ガーナの現実に衝撃を受けた
大学では国際関係や途上国開発について学んでいた田口さん。世界からのチョコレート需要は高いのに、カカオ農家が十分な収入を得られる構造になっていない――。授業や本で見聞きしていた現実を目の当たりにして、ショックを受けた。
「農家の皆さんに話を聞いてみると、収入は1日にたったの2ドルほど。子どもたちは目を輝かせて将来の夢を語るけれど、そのための学校に行けなかったり、マラリアにかかっても治療薬を買うお金がなかったりする状況でした」
「都市部の店舗でチョコレートを見かけることはありましたが、現地の人の3日分の食事代に当たるほど高価なぜいたく品でした。農家の人たちは毎日大変な思いをしてカカオを育てているのに、その加工のしかたも、最終的に出来上がるおいしいチョコレートの味も知らなかったのです」
そこで田口さんは、現地でチョコレートを作って振る舞うことにした。作り方はYouTubeの動画で調べ、甘味付けには絞ったサトウキビやヤギのミルクを代用した全くの「自己流」。それでも、みんなが笑顔になった。
「チョコレートってこんなにおいしいんだね、すごく元気が出るねって口々に声をかけてもらいました。特に、カカオ作りにずっと携わってきた60~70代のおばあさんが『これまでの人生で食べたものの中で一番おいしい』と言って笑ってくれたことは忘れられません」
こんな笑顔を、もっとたくさん生み出すために。農家の人々が、自分の仕事に誇りを持てるようにするために。自分にできることは何だろう? そう考えたことが、事業を起こす原点になった。